人が将来どう変わりゆくかなんて、本当にわからないもの
趣味の園芸でペチュニア(ブリエッタ)の苗を育てています。
去年、ナチュラルイエローの小さな苗が大株になったので、味をしめて、今年はいろいろな色を植えてみました。
白、紫、ブルー、ナチュラルイエロー、ワインレッド…。
ゴールデンウィークあたりに、苗で買ったときは、ワインレッドの苗が一番きれいでした。
茎も葉もしっかりしていて、花付きもよく、園芸店のおばちゃんも「いい苗、選んだね!」って感じで見てくれたので、今年はワインレッドが一番大きく咲くな…と思っていたのです。
他方で、ナチュラルイエローは、へたれ苗でした。
何度立てようとしても、ちゃんと立たなくて、前になだれて、妙に間延びしているのです。
でも、この色はこの苗しか残ってなかったし、去年育てたお気に入りの色でどうしても欲しかったので、仕方なくこれを買ったのでした。
正直、今年はナチュラルイエローはあまり期待できないな…と思っていたのです。
それから1か月半が経過。
写真が今の姿です。
なんと、ワインレッドは一番小さな貧弱な株になり、ナチュラルイエローの方は大株への道をまっしぐら…。
忙しすぎてゆっくり見ている暇もなかったので、いったいいつのまに逆転したのやら、さっぱりわかりません。
ほんとに、「へ?」という感じです。
人間もこれにしかり。
苗の時はほんとに良さそうに見えてたのに、なんでこんなに小さいの?
あのヘタレがいつのまに?
要するに、神ならぬ人間がわかることなんて所詮しれていて、その人が未来にどんなふうに変わりゆくかなんて、実はわからないのです。
普段から、「被告人が将来どう変わるかなんてわからない。けっして、被告人を選ぶことなかれ。」
と自分を戒めるようにしているのですが、この2つの苗には、あらためてその事実を見せつけられました。
人間はすぐ相手を評価して、この人はこんな人だと論評したがりますが(ちょっとえらい立場になるとその傾向が顕著に出ますよね)、本来はその人がどう変わるかなんて、全然わからないはずなのです。
わからないはずのことを「わかる」と言いたがる人が多すぎると思います。
そういう人は、むしろ、洞察力と本物の叡智に欠けるのではないかと思うのです。
「人が将来どう変わりゆくかなんて、本当にわからないもの」。
刑事弁護では特に、こういう姿勢を保ち続けることが大切だと感じた出来事でした。