皆さん、こんにちは!

今日は、ハナさんのクレプトマニア治療体験記をご紹介したいと思います。

題して、「ハナさんの摂食障害からの万引き治療体験記 ~摂食障害に正面から向き合って~ 」

 

 

 

 

 

 

 

 

ハナさんは、摂食障害型のクレプトマニアです。

ただし、ハナさんの場合、「クレプトマニア(窃盗症)」というべきではないかもしれません。

むしろ、「摂食障害」の影響で、万引きに至ってしまったケース、といった方がいいでしょう。

 

裁判でも、最初は、クレプトマニアの主張を出したのですが、医師に診ていただいた結果、クレプトマニアの主張は撤回して、「摂食障害」の主張だけにしぼりました。

というのも、ハナさんは、万引きするとき、クレプトマニアの診断基準にあるような「快感」や「満足感」、「解放感」などは、全く感じていませんでした。

ハナさんがいつも感じていたのは、「罪悪感」でした。

 

クレプトマニアのように見える事案でも、摂食障害できちんと医療機関へ入通院していて、摂食障害が重症であったことも証明できて、盗品もすべて食料品であるというふうに、摂食障害だけで万引きの説明ができるならば、あえてクレプトマニア(窃盗症)の主張はしなくていいと思います。

ハナさんの事例は、まさにそういうケースで、「摂食障害の影響を受けた万引きだ」と主張した事案です。

 

ハナさんには一度受刑経験があり、今回の犯行は、出所後、あともう少しで5年になる、という時期の再犯でした。

一審では、実刑になったのですが、控訴審で破棄され、執行猶予がつきました。

ハナさんの真面目さと治療への真剣な取組みぶりには、高裁の裁判官から、とても高い評価がされていたと思います。

 

ハナさんのケースには、摂食障害の方によくみられる、いくつかの心理的な要素がありました。

例えば、

悪気はないのだけれど、表面的で、子どもの心に無関心な両親との葛藤…、

生まれてきた意味がわからない、自己肯定感の低下…、

生きていることへの罪悪感…、

子どもを産みたくない、母親のようにはなりたくないといった思い…、

自分の女性性への嫌悪感…、

などなど、さまざまな感情があって、摂食障害がベースにあって、窃盗を繰り返してしまう方には、参考になる部分は多いのではないでしょうか。

では、ハナさんの治療体験記を読んでみて下さい。

 

【子ども時代のハナさん】

ハナさんは、幼い頃は、祖母、お父さん、お母さん、ハナさん、双子の妹の6人家族で育ちました。

お父さんは、小さい頃は、ハナさんのことを可愛がって、よく一緒に遊んでくれました。

ハナさんも、お父さんが好きでした。

しかし、年頃になってからは、問題が噴出します。

 

お父さんは、典型的な田舎の価値観の持ち主で、女性は結婚して、早く子どもを産んで、家を継ぐものだ、と考えていました。

ですから、ハナさんが20歳を過ぎて、適齢期を迎えると、

ハナさんの意思や、ハナさんがおかれている状況を無視して、「結婚して、早く子どもを産め」と、しつこく見合い結婚を勧めたのです。

でも、ハナさんは、あまり仲が良くなかった両親を見て育ったので、子どもなんて産みたくないと思っていました。

自分の容姿で悩んだり、友人とのつき合い方で悩んだこともあり、性被害にあって、女性であることが嫌だと感じたこともありました。

そんなハナさんにとって、男性との結婚なんて、自分とは関係のない、遠い世界のことのように感じられました。

ハナさんは、「私に結婚を求めないでほしい。無理なのだから…」と思っていました。

しかし、お父さんは、ハナさんのそんな気持ちを無視して、結婚を勧め続けます。

結局、お父さんは、子どもの心は、全く見ていませんでした。

 

子どもの心を見ていないという点では、お母さんも同じでした。

お母さんは、公務員として働きながら、家事、育児をこなし、その上、田舎だったので、農作業もしていました。

祖母がいてくれるとはいうものの、とても忙しくて、子どものことはほとんど見ていませんでした。

食べさせたり、着せたり、つまり、身体が育つための世話はしているのですが、

子どもの気持ちに寄り添ったり、ほめたり、悩んでいるときケアをするというようなことは、全くしていませんでした。

つまり、お母さんも、ハナさんの心は、全く見ていなかったのです。

 

ハナさんの思い出の中には、お母さんが怒っている顔しか浮かんできません。

お手伝いしたときも、「お母さんが思っているようなお手伝いではない!」といって、怒っていました。

どんなに頑張っても、お母さんからは、ほめてもらえませんでした。

ハナさんは、本当は、もっと話を聞いてもらったり、もっと甘えさせてほしかったのです。

しかし、それはしてはいけないことでした。

 

お父さんとお母さんは、あまり仲がよくなかったので、ハナさんは、自分がいい子でいて、何とかして両親をつなぎとめたいと思っていました。

ハナさんにとって、家庭は、いい子でいなければならない場所、

困っていても、助けてほしいと言えない場所でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【摂食障害の発症】

ハナさんは、高校2年生のとき、摂食障害を発症します。

その当時、一緒にお弁当を食べてくれる人がいなくて、対人関係で悩んでいました。

 

食べると安心するので、食べていると、太ってきたのです。

そんなとき、お父さんから、「お前、太ったな」と言われて、ダイエットを始めたのがきっかけでした。

 

最初は、拒食でした。

しかし、高校受験のストレスから、過食へ転じます。

 

受験勉強の末、大学は無事合格して、地方の大学の薬学部へ進学したのですが、国家試験のための勉強のストレスで、摂食障害はよくなりませんでした。

 

そんなとき、性犯罪被害にもあいました。

夜、道を尋ねられて、親切に教えると、車へ引っ張りこまれたのです。

何とか車から転げ落ちるようにして逃げて、難を逃れましたが、女性は弱いなと思いました。

ハナさんの場合、もともとお母さんのようになりたくないという思いがあったところへ、性被害にあったため、よけいに女性であることに嫌悪感を感じるようになってしまいました。

 

過食嘔吐には、そんな、もやもやしたストレスや不安感を、食べ物と一緒に吐き出して、すっきりする効果がありました。

ハナさんの場合、女性らしい身体になるのも嫌だったので、いっそう過食嘔吐がやめられなくなりました。

 

他にも、摂食障害を悪化させた原因がいくつかあります。

ハナさんの「自責の念」です。

 

1つ目は、脳梗塞で倒れ、その後介護が必要になったお祖母さんのことでした。

倒れる前日の夜から、お祖母さんは、調子が悪そうでした。

朝、起きてきたときも、フラフラしていて、食欲がなく、少しろれつが回らなっていて、今思えば、倒れる「前兆」がありました。

しかし、お葬式の予定が入っていた父母は、きっと大丈夫だろうと、出かけてしまいました。

家には、ハナさんが残っていました。

その日、お祖母さんは倒れて、病院へ運びましたが、後遺症が残り、歩けなくなってしまいました。

ハナさんは、自分が家にいたのだから、自分が前兆に気づき、倒れた直後に病院へ運んでいれば、祖母に後遺症は残っていなかったかもしれない、あんなに苦しい介護を受けなくてもよかったかもしれない…と、自分を責めました。

 

2つ目は、自分のお見合いの失敗で、父母のケンカがたえなかったことです。

古い価値観の父は、ハナさんが年頃になると、しつこくお見合いを勧めてきました。

しかし、結婚なんて考えられなかったハナさんが、お見合いを断り、失敗するたびに、お父さんは、お母さんを「お前の育て方が悪い」と責めたのです。

その結果、お母さんは、病気になって倒れてしまいました。

 

両親が、自分のお見合いのことでもめるのを見るたびに、ハナさんは、自分が娘として、親の期待をみたしていないから、家庭内にこんな不和が生じるのだと、自分を責め続けたのです。

このような自責の念は、ハナさんの摂食障害を悪化させていく原因になりました。

(このような自責の念に対して、ハナさんが治療の後、どう考えるようになったかは、PART2のインタビュー編をご覧下さい)。

 

 

 

 

 

 

 

【性犯罪被害について ~摂食障害悪化の原因の1つ~ 】

大学の薬学部を卒業して、薬剤師になったハナさんは、最初は、お父さんが希望していた公立病院の薬剤師になりました。

そして、30代半ばで辞めるまで、12年間、勤務しました。

 

公立病院は、仕事で手を抜く人もいて、頑張り屋のハナさんは、イライラして腹立たしく感じることもあったのですが、反面、過酷な労働環境にはなりにくい面がありました。

そのため、摂食障害は、比較的安定していました。

食費は、毎月15~16万円もかかっていましたが、何とかやりくりできていました。

 

しかし、30代半ばのある日、趣味で参加していたコーラス部で、セクハラにあったのです。

発表会のプログラムを作る担当者をしていたハナさんに対して、えらい立場の指導者からのセクハラでした。

皆が楽しみにしている発表会を自分のせいで壊すことはできない…。

そう思って、被害を言えずに我慢したことで、摂食障害が悪化してしまいます。

 

もやもや、ざわざわした気持ちを、摂食障害で解消しようとしたのでしょう。

どうしても食べ物が足りなくなって、それまで買えていた食料品を、万引きしてしまったのです。

これがきっかけで、ハナさんは、12年間勤めた公立病院をやめました。

 

そして、私立病院へ転職します。

私立病院では、仕事ぶりも認めてもらえて、仕事はやりがいがありました。

しかし、経費削減のため、職場は少ない人数で回っていて、拘束時間が長くなり、過重労働になりました。

 

さらに、両親に認めてもらえずに育ったハナさんには、周囲の人から認めてもらいたい、承認してもらいたいという強い「承認欲求」がありました。

そのため、委員会活動や、外部の研究会での発表など、仕事と直結しない業務外の活動を、頼まれるとすべて引き受けてしまったのです。

仕事がきつい上に、業務外の活動まで引き受けてしまうため、過労で、摂食障害が悪化しました。

摂食障害が悪化すると、万引きが出てしまい、悪循環になりました。

 

当時のハナさんには、「家でゆっくりくつろぐ」ということができませんでした。

仕事しか、より所がないという思いがあって、仕事をしていると安心できたため、過労になっても、働き続けようとしてしまうのでした。

その結果、過労で摂食障害が悪化する、→ 万引きにつながる、という悪循環に陥り、万引きによる退職と転職をくり返したのです。

最初は、起訴猶予、

そして、罰金、

執行猶予判決、

その執行猶予中の再犯で、とうとう実刑へ。

ハナさんは、受刑を経験しました。

(ただし、このときの万引きはお弁当で、被害額も少なかったので、摂食障害の主張をして、治療へつなぐ弁護活動を展開していれば、再度の執行猶予判決を受けられたように思います)。

 

【刑務所の中での貴重な体験/そして、父母の無理解】

刑務所の中では、自己肯定感はますます下がり、ハナさんは、ますます食べられなくなりました。

刑務所では、食事をとるまで、延々と居残りさせられて、食べさせられます。

何とか食べて、皆のところへ戻る日が続きました。

ハナさんは、さらに痩せていきました。

 

そんな時、一人の年配の受刑者の女性が、

「今は、食べられないなら、食べなくてもいいよ。」

「ここにいてほしい」と言って、ハナさんを、ギュッと抱っこしてくれたのです。

ハナさんは、今まで感じたことのないような、深い安心感を感じました。

 

そして、とうとう出所の日。

両親が車で迎えに来てくれましたが、ハナさんは、その車の中で、刑務所で着ていた服を全部脱がされ、捨てられてしまいます。

その両親の行為に、ハナさんは、強いショックを受けました。

「刑務所では、自分なりにとても頑張ったし、

ギュッと抱っこしてくれたあの年配の受刑者さんなど、私にとっては、とても貴重な体験だった。

けれど、「両親には、私が刑務所に入ったという事実そのものが受け止められないんだな」「なかったことにしてほしいんだな…」

子どもの頃と同様に、両親に受け入れられていない自分を感じてしまったのです。

 

その結果、摂食障害は悪化していきました。

倒れたときの記憶がないほど、重症化してしまいます。

死んでもおかしくないくらいで、3回も入院をしました。

その後、9か月のリハビリ期間を経て、ハナさんは、ようやく回復したのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

【社会復帰を目指すハナさんと承認欲求】

ハナさんは、今度こそ社会復帰したいと願い、就職活動をして、薬剤師として再就職しました。

ハナさんに摂食障害があることを知りながら、一緒に頑張っていきましょうと言って、雇って下さった病院には、心から感謝して、仕事で貢献することで、恩返しをしたいと思いました。

ハナさんが、はり切って、働き始めました。

 

しかし、ハナさんは、また頑張りすぎて、過労状態に陥ってしまいます。

以前からあった「承認欲求」の影響です。

 

ハナさんは、愚直というくらい真面目で、あまり器用ではなかったため、仕事量をうまく調整できず、保険の点数が大幅に上がってしまいました。

あまり極端に保険の点数があがると、監査の対象になってしまいます。

上司からは、頑張ってくれとは言ったけど、これではやりすぎだと怒られてしまいました。

ハナさんは、自分の不器用さに悩み、周囲の期待に応えられないことに苦しんでいたのです。

 

 

 

 

 

 

 

【万引き事件へ】

そんなある日、ユニクロに期間限定の安売り商品を買いにいたとき、その横に初めて見るスーパーを見つけました。

ちょうどお昼時で、昼ご飯でも買って帰ろうと思って入ったのですが、そこには、竹の子おにぎりやどら焼きなど、普段見ない、とてもおいしそうな食材が並んでいました。

 

お昼時で、お腹がすいていたこともあり、衝動的に手にとって、カバンに入れてしまったのです。

そのときは、刑務所のことなんて、全く頭に浮かびませんでした。

レジまできたとき、はたと困ってしまいました。

一度カバンに入れてしまった食材を、ゴソゴソ出すことはできません。

精算したい、でも、できない…。

悩んだ末、いったん車に商品をおいて来ようと思いました。

そして、お店を出たところで、逮捕されてしまったのです。

出所後、あともう少しで、5年になるという時期での再犯でした。

 

逮捕後のハナさんは、摂食障害が悪化していたこともあり、ボー―ッとして、反応が鈍く、言葉が出てくるのさえ遅い状態でした。

検察官にも、「自分のことなのに、わからないの!?」と怒鳴られて、怒られたそうです。

私のところへ相談に来られた時も、最初は、応答にとても時間がかかっていました。

 

【ハナさんの治療の日々/フルコースの治療メニュー】

事件後、ハナさんは、群馬県の赤城高原ホスピタルへ入院して、本格的に、クレプトマニア(窃盗症)の治療に取組み始めます。

 

クレプトマニア医学研究所(通称「KMRI」。母体は、性障害専門医療センター(SOMEC)と同じ専門治療機関)で、医師の診断を受け、意見書を書いてもらい、心理分析や認知行動療法によるグループ・ミーティングも受けました。

医師の診断は、「摂食障害(神経性無食欲症)」で、「窃盗症」の診断はつきませんでした。

 

心理分析では、

・自己肯定感の低さ

・対人関係構築の困難さ

・女性性への否定的感情

・完璧を求める傾向

などが指摘されました。

 

「食べ吐きや窃盗行為は、自らを否定し、生きることを拒否する一方で、空っぽの自分の刺激を与えることで、生を感じ、自らの苦しい思いを外部に伝える手段である」

「被告人にとって、窃盗行為は、隠れて行っていた食べ吐きを両親に知らせ、被告人の内面を伝える手段でもあったと考えられる」、

「被告人には、自分が求めているもの、わかってもらいたいものを考えることが大切である」

「その上で、食べ吐き行為によって、自分を傷つけたり、窃盗行為を続けたりする以外の方法で、それを表現する方法を探ることが必要である」という指摘を受けています。

 

真剣に治療に取組み、少しずつ回復していったハナさんでしたが、一審判決は、懲役10月の実刑でした。

ハナさんは、自分はまたしても否定されるのか、とショックを受けましたが、これは、神様がもう少し治療を続けなさい、そうすれば、もっと良くなるよ、と言って下さっているのだと考え直し、控訴して、治療を続けました。

 

【控訴して、治療を続けるハナさん】

結局、ハナさんは、赤城高原ホスピタルに8か月間入院しました。

8か月間入院していると、さすがにメンバーの顔触れも変わり、だんだんハナさんも、去り時だと感じるようになりました。

ハナさんにとって、病院から社会に戻ることは、少し怖さもあったのですが、思い切って、退院しました。

 

退院後は、地元の摂食障害の病院へ通院しつつ、各地のKAに通いました。

 

さらに、社会復帰への一歩として、地元の遊園地の子ども食堂でアルバイトを始めました。

子ども達は、家族で遊園地に遊びにきて、嬉しそうな笑顔で元気いっぱいです。

生きる喜びと食べる喜びにあふれています。

摂食障害に陥って、生きることを拒否してきたハナさんは、子ども達から、生きる喜びと食べる喜びを分けてもらって、少しずつ元気が出てきました。

 

さらに、私から、ハナさんへ、自宅のお部屋を居心地のよい空間に大改造することを提案しました。

というのも、ハナさんは、父母と一緒に住む自宅を「居心地の悪い場所」としてとらえていて、極力外で過ごそうとして、仕事を頑張り続け、過労に陥るという悪循環のパターンをくり返していたからです。

自宅を居心地のよい空間に変えて、ゆっくりくつろいで過ごし、過剰に疲れをためないようにすることは、摂食障害の回復、ひいては、万引き防止にとても重要だと思ったのです。

ハナさんは、インテリアショップを回り、お気に入りの赤いソファや猫のクッション、BSが写るテレビ等を買って、自室はとっても素敵な、落ち着ける空間になりました。

その写真を撮って、証拠請求もしましたよ。

 

そんな努力のかいもあって、

控訴審では、原判決破棄、懲役1年執行猶予4年の判決に変わりました。

 

高裁の裁判官も、ハナさんの記録にとても熱心に目を通して下さったようです。

審理のとき、担当裁判官が、法廷の檀上から、ハナさんに話しかけました。

裁判官: 摂食障害で入院された後、日記をつけておられたそうですね。

ときどき、見返したりすることはあるのすか。

ハナさん: はい、あります。

裁判官: 読み返してみて、どんなことを考えましたか。

ハナさん: 当時の日記を読み返すと、すっごく小さい文字で、しかも、端っこに偏って文字が書いてあるのです。病気だったんだな…と思いました。

今は、おかげさまで、しかるべきところに、しかるべき大きさの文字で、日記が書けるようになりました。

裁判官: そうですか。

私は、準備していない質問が始まったので、一瞬ドキッとしたのですが、ハナさんはそんな私の心配をよそに、すらすら裁判官とやり取りしていました。

担当裁判官もとても熱心な方で、ハナさんと裁判官の間には、滑らかなコミュニケーションが成立していました。

裁判官と被告人が接する時間は、法廷でのほんのわずかな時間だけですが、裁く者と裁かれる者との間には、ずっと一緒に過ごしている弁護人とはまた違う、特別なコミュニケーションのあり方が存在しているのだと思います。

 

そして、判決言渡しの日。

裁判長が、「これで終わりだなんて、絶対に思ってはいけませんよ。今からでも、人生は、十分やり直せる」と、励ましの言葉をかけて下さいました。

 

ハナさんは、今も地元の摂食障害とKAに通い続け、治療を継続しています。

社会奉仕したいと願っていて、いつか、刑務所内で、KAミーティングを実現させるお手伝いをしたいというのが、彼女の希望です。

 

いかがでしたか。

同じように摂食障害の悪化から、万引きに陥ってしまった人は多いのではないでしょうか。

ハナさんのストーリーが、少しでも皆さまのお役に立てば、ハナさんは大喜びです。

皆で、再び回復する喜びを分かち合いましょう。