PART2では、ヨウコさんのインタビューを掲載したいと思います。

一審判決のあまりに重い量刑評価に、一念発起して、心理カウンセリングの力を借りながら、内面の探求をすすめ、万引き原因を解明・克服していったヨウコさんの言葉をどうぞ!!!

 

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私: 今回の治療では、個人カウンセリングで、「生い立ちの影響」を分析しました。

心理士からは、ヨウコさんの場合、「6歳でのお父さんの死」がすごく大きな影響を与えている、今もまだその悲しみから回復していないんだと言われました。

お父さんの死って、ヨウコさんにとっては、どんなものだったのでしょうか。

 

ヨウコ: 今はもう40年以上前の遠い過去のこととわかっていますが、今思えば、やはり私にとっては相当なダメージだったと思います。

今でも、目をつぶれば、父の額に白い三角形の布がのせられ、青白くなった額を鮮明に思い出すことができます。

本当に、お父さん子でしたから…。

その夜の就寝時に、私の頭の上に、父が出てきたことも思い出しました。

「がんばれよ~」って、確かそう言ったんです。

 

私: お父さんが亡くなったことで、必然的に「母子家庭」になったわけですが、この母子家庭というのも、ヨウコさんに大きな影響を与えていると指摘されました。

心理分析では、「守ってくれる人がいない」「お金がないとみじめだ」という思いがあり、常に「人の目が気にしている」といったことが指摘されているのですが、母子家庭で育ったことによって、どんな思いを抱えていたと思いますか。

 

ヨウコ: 母子家庭というと、何となく、普通じゃない、劣っている、という感じがしていました。

私は、その当時、「母子家庭」という言葉が大嫌いでした。

 

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私: そして、高校生のときに、摂食障害を発症したのですね。ちなみに、過食嘔吐って、どれくらい食べて、どんなふうに吐いていたのですか。

過食嘔吐して吐くと、どんな気分になるのでしょうか。

 

ヨウコ: 一番ひどい時は、お弁当10個、菓子パン20個を3時間以上かけて食べ、2Lの水分をとって、一気にトイレで吐いていました。

私の場合、指を口に入れなくても、自然にうまく吐けてしまいました。

そうすることで、嫌なこと、つらいこと、醜い自分、そういう全てを自分の中から取り除ける、取り出せる、それによって、浄化されていく、そんな感じです。

いってみれば、「浄化のための儀式」でした。

 

私: 摂食障害には、波があると聞いたのですが、事件当時も、摂食障害は激しかったのでしょうか。

それとも、ある程度は、おさまっていたのでしょうか。

ヨウコ: 事件のときは、それほどひどくはなかったのですが、プチ過食嘔吐は続けていました。

少しだけでも胃に食べ物がある感じが嫌なのです。

大量に食べなくても、少しだけでも吐けるようになっていました。

半額シールがついた菓子パンや食パン、うどんやそば、豆腐やご飯などでした。

 

私: そして、摂食障害から、万引きへつながっていきますね。

そのメカニズムや認知の歪みを心理士が解明したわけですが、それについてはどう感じましたか。

ヨウコ: 本当にそのとおりだと思えました。

万引きは犯罪、盗ってはいけない、こんなことをくり返していたら、いつか見つかる、やめないといけない、やめたい、何時やめる?、次、次、次はやめる…と、ずるずる繰り返してしまっていたのです。

1円でも、10円でも、お金がなくなるのが不安でした。

買うならとにかく安い物、とにかく値段、価格で決める。

欲しいものではなく、安い物でした。

お金を使わないこと、お金が減らないことが、私にとって正しいことになってしまっていて、盗むことは、ルールを守れた充実感、規則通りに生活している正しい人間だと感じるようになっていたのです。

本当にお恥ずかしい限りですが、歪んだ考え方・歪んだ認知です。

今思うと、気持ちが悪いです。

 

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私: 刑務所にも、2回行きましたね。

刑務所の生活は、とてもつらいと思うのですが、刑務所へ行った後でも、止められないものなのでしょうか。

あのつらい受刑生活を思い出したら、盗むのはやめとこう、とはならないものでしょうか。

 

ヨウコ: 確かに、受刑生活はつらく苦しいものでした。

けれども、無事社会復帰できると、また、お金に対する不安が出てきて、そちらの方が、受刑生活の苦しさよりもはるかに大きくなっていったのです。

頭の中に、受刑生活より、お金を失うことの怖さ、恐ろしさの方が、大きくのしかかってきたのです。

盗むときに、刑務所のことは思い出していません。

 

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私: 今回、いくつかの治療を受けています。赤城高原ホスピタルと、心理カウンセリング、地元の摂食障害の専門病院への通院ですね。

それぞれの良さを教えてくれますか。

 

私: まず、赤城高原ホスピタルについては、どうでしょう?

ヨウコ: 1日に何回も行われるMTMミーティング(万引きの自助ミーティング)。

これは、同じ病をもつ仲間の声が、自分と重なり、たくさんの気づきがあります。

自分の考え方と仲間の考え方の違い、感じ方の違いなど、深く掘り下げながら、取り入れる、取り入れない、を自分で判断して、自分の生活を見直す糧になってくれました。

自分自身に対しては、主観が邪魔して、客観的に見ることができないのですが、ミーティングで仲間の発言を聞いていると、他人のことは客観的に見られるので、ああ、自分もあれと同じなのかな、とか、自分はあれとは違うな、とか、感じます。

その結果、自分自身を客観的に見つめることができるようになるのです。

 

私: 心理士によるカウンセリングはどうでしたか。

ヨウコ: 私の生い立ちや家族との関係、家庭環境から、私の万引きという行為への依存を、プロの目で的確に分析していただけたことで、自分なりにストンと納得がいきました。

あの時、こんな思いやあんな考えがあったから、万引きをくり返したのだと、しっかり理解できたんです。

私にとっては、大きな発見でした。

 

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私: ヨウコさんは、3人のお子さんの子育て、家事、パートと忙しいので、地元で、定期的に通える、摂食障害の病院も探してもらいました。これはどうでしたか。

ヨウコ: 私の場合は、摂食障害になってしまったことが、万引きの一番の原因であるので、原点に戻って治療をするというのは、最善策だったと思います。

食べることも、お金を正しく使うことも、普通の人にとっては、当たり前のことなわけですが、私の場合は、その当たり前のことができなかった。

でも、それを変えることも恐ろしかった。

誤った生活パターンをずるずると繰り返してしまったからこそ、再犯してしまったのだと思います。

今回、治療として、食べた物リストや日記をつけるなどして、正しく食べることを続けて、自分の変なところ、おかしな点に気づくことができて、それを当たり前にすることに、抵抗感がなくなりました。

このことが、私にとって、とても大きな回復への第一歩だったと思います。

 

私: KAひょうごにも参加されていました。

KAや仲間は、ヨウコさんにとって、どんな存在ですか。

ヨウコ: KAひょうごの存在は、私にとって、今はなくてはならない大切なものです。

実は、KAひょうごを作ったのは私なのです。

8年前に赤城高原ホスピタルを退院した後、地元でもミーティングに参加したくて、開設しました。

当時は、奈良の大和高田市と世田谷にしか、KAがありませんでした。

自分の回復のために、そして、自分を慕ってくれる仲間のために、少しでも力になりたい。恩返しがしたい。そんな思いです。

一人じゃない、苦しくても仲間がいる、共に回復し続けたい。そんな場所にしていきたいです。

 

私: いろいろお金が必要だったので、お金を稼ぐために、食料品の物流センターでアルバイトをしましたね。

これはどんな影響を与えましたか。

ヨウコ: 私は、今回、自分が万引きしたお店の商品を取り扱う物流倉庫で働きました。

このことも、回復への第一歩だったと痛感しています。

自分が淡々と深く考えもせず、カバンに入れて持ち帰っていた商品は、多くの人々の労働の上にある貴重な物であり、それが店頭に並べられるのは、たくさんの方々の労力があってこそなのだということを強く感じることができました。

本当に重い米、水、油、パスタを運んでいる時は、盗っていた自分を心から情けなく思ったし、腹立たしくなりました。

健全な感覚を身体で感じ取れた経験でした。

 

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私: 今回、回復が軌道にのれたのは、どうしてだと思いますか。

ヨウコ: たくさんの出会いがあったからだと思います。

赤城へ入院できたことはもちろんですが、そこで出会ったたくさんの仲間とのつながり、弁護士との出会い、カウンセラーとのぎっしり内容のつまった数回の密度の高いカウンセリング、アルバイト先の親友、etc いろいろな人との良い出会いと接点が、私に良い影響、前に向かって進んでいくエネルギーを下さったと思っています。

 

私: 今回は、控訴審でしたが、一審で、「意味のわからない理由で盗む人」と誤解されてしまったこともあり、お金の影響があったことや、ご主人と教育費のことで意見が分かれていることについて、真実を話しました。

裁判で真実を語ることに対する弁護士の意見はわかれるところだと思いますが、ヨウコさんにとっては、真実を語ったことは、どのように感じられましたか。

ヨウコ: これが一番大切なことであると、私は、今回強く感じました。

有利な判決をいただくためとか、刑期を短くしたいためという、こざかしい考えでは、本当の意味での回復はない。

納得がいく主張をしない限り、自分自身が変われないのだと言うことを心から感じました。

私: 一審での主張は、実は、ヨウコさんの本心ともずれていたのですよね。

何かおかしいな、これでいいのだろうか…?、と思いながら、裁判を受けていたようです。

 

私: 今後、この回復軌道にのった状態を維持できそうですか。

ヨウコ: 今回は、今までの裁判とは違います。

私は、今回、とことん自分の犯罪、家族と向き合えました。

弁護士、心理士の先生方のお力をお借りして、やり切った感と変われた感、充実感があります。

お金を使う抵抗感と不安感がなくなりました。

お金は使うもの、働けば、また入ってくるもの。

この当たり前の考え方が、普通にできるように、やっとなりました。

買う喜びを、少しずつ感じ取れるようになってきました。

 

出所後も、月1回のカウンセリング、摂食障害の治療、月2回のKAひょうごへの参加は続けます。

あと、こちらは不定期になりますが、赤城高原ホスピタルへのショートステイも続けたいと思っています。

仲間や弁護士、カウンセラー、医師。

私にとって大切な人々の存在は、私にとってのお守り、心のより所、お薬になっていると信じたいです。

 

私: クレプトマニアの弁護に関わる弁護士達に何かアドバイスはありますか。

ヨウコ: クレプトマニアは、回復し続ける病で、完治のない精神病といわれています。

その人、その人によって、弁護の作戦はあると思います。

けれども、目先のことにとらわれず、真の回復や幸せにつながる弁護、クレプトマニアの心に寄り添った弁護をしていただけたら、再犯は必ずなくせると思います。

私自身も、1日、1日を丁寧に、幸せを感じながら生きる、何か人のために役立てる自分になっていきたいです。

 

私: では、受刑の間、身体に気をつけて、頑張って下さいね。

1日も早く帰って来て下さるのを待っていますから。

 

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