バルバランのようなはたくさんいる ~映画グレースオブゴッドから~

先日、仏映画の「グレース・オブ・ゴッド 告発のとき」を観てきました。

あまりにも暑くて、しんどかったのですが、「早く行かないと終わっちゃうよー」と思い、えいやっと頑張って観に行ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神父が長年にわたり信者の家庭の少年達に性的暴力を働いていて、当時被害にあった少年が、大人になってから、神父と教会を告発する話です。

実話を元にした映画だと知っていて、だからこそ観たかったのですが、昔の事件だと思っていました。

実際は、2016年1月に捜査が開始して、性的暴力を働いた神父に判決が出たのは、2020年3月のことなのだそうですね。

係争中の事件の映画化だったとは知りませんでした。

すごいですね。

 

映画の中では、ブレナ神父から子どものときに性的被害を受けたと告発する被害者に対して、バルバラン枢機卿が、頻繁に「許し」や「寛容」という言葉を持ち出していました。

文化の違いを感じて、驚きましたね。

日本では、この言葉は出てこないでしょう。

この場面では、「許し」や「寛容」は不適切ですよね。

 

ただし、その他の場面となるとどうでしょうか。

現代の日本人の生活の中で、「許し」「寛容」なんて言葉は、全然出てこないので、

問題の重大性も考えず、何でもかんでも、許しすぎて、寛容すぎるのも問題だけど、

許しや寛容が全然ないのも、また問題だな…、

適切なバランス感覚というのは、意外と難しいものだな、と思いました。

 

 

ところで、このブレナ神父、実物はどんな人なのかわかりませんが、映画の中のブレナ神父は、子どもへの性的暴力を常に認めています。

何度聞かれても、誰から聞かれても(警察から聞かれても)、否認はしない。

「はい、やりました」「自分は病気です」と認めているのです。

 

だったら、なぜ子どもと一緒においておくのか。

誰かきちんと止めてやれよ、と思いました。

きちんと逮捕して、適切な刑罰を科すことも重要なのだと思います。

ただ、ブレナ神父の方は、本人も認めているし、小児性愛は難しいテーマではありますが、再発防止のためには、子どもと分離すればいいことはわかっているのだから、対処は容易な気がしました。

 

むしろ、対処が難しいのは、権力者である、バルバラン枢機卿の方です。

被害が発生していることを知っているのに、行動を起こそうとしない、隠す、放置し続ける。

止めようと思えば、止める権力は持っているのに、行動しない。

被害から目を背け、まるで何事もなかったように、問題など起きていないように振る舞い続け、

現状を維持する方向にだけ、力を尽くす。

 

こういう行動をとり続けるバルバランにとって、大切なものは何なのか、

彼が守ろうとしていたものは何なのか、と考えると、

たぶん、彼にとっては、教会の体制とか、無瑕疵性とか、

「こうあるべきと信じる理想のカトリック体制が、昔も、今も、将来も、永遠に変わらず、存続し続けること」

みたいなものが一番重要なのだろうな、

きっと小さな頃から信じ続けた信念みたいなものになっているのだろうな、と思いました。

 

現実には、神父が子どもに性的虐待行為をする、という信念に反した事態が起きていても、現実の方を無視してしまうのでしょう。

恐ろしい話です。

 

しかし、しかしですよ、私はここで、はたと考えるわけです。

このバルバランのような人って、私達のまわりにたくさんいませんか。

 

法曹関係者であれば、「裁判官」です。

例えば、障害者への判決ですね。

知的障害があっても、善悪の判断はできる。健常者と変わらない。

(ほんとですか?違うのでは?現実の彼らは、弱くて、生きにくさを抱えた人達ですよ。
健常者とは、違うんじゃないですか?)

例えば、薬物や窃盗などの依存症への判決。

規範意識が低い、常習的、そして、極めつけの決め台詞は、「行為責任」で、はい、また刑務所へ。

(しかし、依存症者に、行為責任を論拠に刑罰を科し続けたところで、事態は改善しないのでは?

同じことの繰り返しで、本人のみならず、家族もつらい思いをし続けているのでは…???)

 

その他にも、

現在の犯罪に、子ども時代の成育歴なんて関係ない、とか。

虐待を受けて育ったため、大人になって犯罪者になってしまっても、皆が加害者になるわけではないから、斟酌の余地はない、とか。

裁判官がこれが正しいとして、裁いているけれど、実はおかしいんじゃないかと思うことは、いろいろあるわけです。

 

つまり、裁判官も、実は、バルバランではないのか。

検察官も同じです。

無罪が出るのを極度に嫌がっって、何が何でも有罪に拘るところ、

治療の成果を認めず、何が何でも重い刑を科さねば検察のメンツが立たないとばかりに、気が済まないところ、

全部、バルバランです。

 

ブレナ神父のような人は、そんなにたくさんいない気がしますが、

バルバランのような人は、実は、たくさんいるような気がします。

人間というものは、これは間違っていると知っていても、なかなか声を上げようとしない、行動を起こそうとしない。

これは、こういうことになっている、こう処理することになっている、ということに従う。

そのために、犠牲者が出ていても、見て見ないふりをしているのです。

 

このような状態を変えていくためには、映画の中であったように、誰かが告発し、それに周囲が呼応して、全体が声を上げ、それが世論となっていくことを目指すしかないのだろうと思います。

 

バルバランではなく、最初の告発者となったアレクサンドルやそれに続いて行動を起こしたフランソワになれるように、頑張りましょう。

 

PS: でも、これは本当に難しい問題です。

だって、もし、さらに視点を大きくして、「地球環境」「温暖化」という視点でみれば、私もバルバランの一人ですよね、きっと。

何とかしたいと思っているけど、具体的な行動を起こしているかと言われると、あやしい…。

どうしたらいいのか、わからないという方が正しいのかもしれませんが。

しかし、何もしなければ、悲劇が待っているんでしょうね、きっと。

間違っていると思うなら、行動を起こせということかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です