ダリ展 京都 ~奇想天外の下には確かな技術が~
(台風はどこへやら。晴天で蒸し暑かった)。
京都会場は、昨日が最終日。
もっと早く行けばよかったのですが、今年はあまりに暑すぎて、一歩も動けなかった…。
混むかなー、とは思いましたが、最後は、えいやっで、行くか、行かないかだけですものね。
久しぶりに朝6時起きして、朝一番に行ったので、だいたいどの絵も最前列で見られました。
でも、帰ろうと思った11時ころには、絵の前には、3重くらいの人垣が出来ていて、ちょっと最前列には立てないな…という感じまで混んできていました。
この後の東京会場は、もっと、もっと混むのでしょうね。
絵を見て感じたのは、(私は絵のことは全くわからないのですが)、
若いころは、結構まともな感じの絵も描いていて、この時期にちゃんと絵の基本を学んでいるんだな…、
複雑な構成になっていて、ものすごく奇想天外に見えるけど、技術的にはきちんと基本を押さえているんだろな…、
ということでした。
あとは、人生を通じて、そのときどきで興味が移り変わっていき、それをすぐ絵に取り入れているところは、
(精神世界を描いていたけど、原爆投下の後は、原子の動きに興味を持って絵に取り入れるところなど)
新しいものへの好奇心と、感受性の高さを感じました。
こういう展覧会を観た後は、出口のショップで、ついいろいろ買いたくなりますよね。
事務所の机の前のパーテーションに飾ろうと思い、気に入った絵のクリアファイルを1つと絵葉書を4枚買ったのだけれど、
事務所に持って帰って、貼ろうとすると、あ、合わない…、。
ダリの絵って、刺激的だけど、落ち着かないというか。
仕方ない…。あきらめました。
いつも思うのですが、絵とか、音楽とかはすべて、
過ぎ去る一瞬のものというか、淡雪のように消えゆくものというか、所有できないものだな…と感じますね。
展覧会や過ぎ音楽会に行って、感激するたびに、その余韻をとどめようとして、グッズやCDを買いたくなるのだけれど、
結局、いろいろ買いこんでも、所有することはできないというか。
いつもそういうことを感じます。(いい加減、悟れよとも思いますが。)
すべて消えゆくもの。
でも、印象はちゃんと頭に残っているのでしょう。
結局、机の前のパーテーションにかかっているモネのアイリス畑の絵を眺めながら、今日も仕事をする私なのでありました。
(モネの絵の方が落ち着く…)。
ちなみに、気に入ったので、クリアファイルで買ったこの絵。
(少し大きいものは、クリアファイルしかなかったんです)。
ダリ展の作品紹介のホームページでは、
各モティーフは一見ばらばらに存在するように見えるけれども、
実際には、黄金分割の数学的な座標軸上に置かれていて、絵画空間は厳格なシステムによって支配されているのだとか。
会場で、そばで細かいところを見ると、すごく精緻に出来ていたし、
実は、基本の法則をきっちり厳格に守っているのだと思うのです。
奇想天外は、確かな技術と基本あってのものなんだな…と改めて感じましたね。
逆にいうと、基本を押さえてないと、奇想天外にはなれないんだな…と思いました。
(少なくとも、売れはしなかったでしょうね。笑)。