情状弁護ビギナーズのコラム ~心に残っていること~
先の投稿で、情状弁護ビギナーズの第1回編集会議のことを書きました。
顔合わせをしただけで、まだ具体的内容は決まっていないのですが、
もし「―ちょっと休憩―」という感じの小さなコラムの欄があったら、何を書くかな?と考えたとき、
ずっと心の中に引っかかっていた出来事を思い出したので、まずは、このブログに書いてみたいと思います。
1つ目は、昨年、毎年恒例の日弁連人権擁護委員会第3部会での刑務所訪問の翌日、
せっかく北海道の旭川まで来たのだから…と旭川動物園を訪れたときのエピソードです。
冬なので、暖かさを好む動物たちは、外には出ず、部屋の中にいるわけですが、チンパンジーの部屋の前に来たとき、
1頭のチンパンジーが床の上に、ござのような物を下に敷いて、寝転がっていました。
その様子を見たとき、一緒に園内を回っていた先輩弁護士が、半分冗談に、
「あ!、僕、刑務所で、これにそっくりな人、何回も見たことあるよ。」と言ったのです。
不謹慎なのかもしれませんが、私は、思わず吹き出して、笑ってしまいました。
その例えがあまりに言い得て妙だったからです。
そのとき撮った写真がこれ!
この一番左側の床に横たわっているチンパンジーさんの雰囲気が、刑務所見学のときに見た受刑者の人たちと本当にそっくりだったのです。
ただし、私がそれを見たのは、見学先の旭川刑務所ではなくて、(旭川は建て替えが進行していて、かなり綺麗な印象だった)、
その前年に見学に行った徳島刑務所だったような気がします。
(先輩弁護士は、「何回も見た」と言っていましたから、他の刑事施設でも見ているのでしょうね)。
暖房のない刑務所の中で、(工場で休憩する場所や食事をとる所などにはところどころに暖房があり、全くないわけではないのですが、居室には暖房はありませんでした)、
唯一、室温調整ができる冷暖房機(クーラー機が壁についていた)がついている部屋に、
自力で体温調整ができなくなった病人や老人と思われる人達が、
床の上に、このござを敷いているチンパンジーさんとそっくりの姿で、何人も横たわっていたのです。
ここで、刑務所の名誉のために付け加えていくと、刑務所は、体調が悪くて、もはや自力で体温調整できなくなっている人たちのために、何とかしてやろうとして、精一杯のことをしていました。
そして、その取り得る唯一の方法が、居室内に冷暖房機がついている部屋に、そういう人たちを全部集めて、床に寝ころがせておくことだったわけです。
(普通の人の居室には冷暖房はないし、夕方にならないと横臥は禁止ですから)。
たぶん、どんな方でも、これを見たら、「日本って、こんな国だったの?」って思うと思います。
あまりジロジロ見るわけにいかなかったので、床に寝転がっている人たちの年齢層の詳細までは覚えていませんが、
基本的には、高齢にさしかかってきている人たちだったのではないかと思います。
(まだ若くて元気な人は、自力で体温調節ができて、居室で何とか耐えているでしょうから…)。
イタリアでは、70歳以上の人は、別の施設へ行き、刑務所に収容されることはないと聞きました。
それが常識で、80歳以上のような老人でも刑務所に送って、こんな処遇をしている日本は、少し頭がおかしいのではないかと思います。
2つ目のエピソードは、他府県の簡易裁判所で、職権発動せずとされ、制限住居の変更を許可してもらえなかったケースです。
制限住居変更の希望先は、クレプトマニア治療で有名な赤城高原ホスピタルでした。
執行猶予中の再犯の事例でしたが、クレプトマニアと思われ、その他にも摂食障害やアルコール依存、PTSDなどの診断を受けていました。
一審である簡裁では、クレプトマニアの主張を十分できないまま、審理を終えてしまったたため、その後、控訴審で、私の所に相談に来られた方でした。
一審判決後、私が関与する前に、既に保釈が認められている状態でした。
判決後、保釈を得た被告人が、クレプトマニアの治療で有名な赤城高原ホスピタルを受診したところ、
竹村道夫医師が「あなたは重症だから、すぐ入院しなさい」と、ただちに入院できるように、特別に取り計らって下さったのです。
それを受けて、私が、自宅から赤城への制限住居の変更申請をしたのでした。
普通の裁判官なら、認めるでしょう。
既に保釈されていて、外に出ているわけですから、自宅から赤城へ移ったところで、保釈の趣旨を害するような弊害(たとえば、証拠隠滅のおそれだとか、逃亡のおそれだとか、新しい制限住所地が被告人にとって不適切な場所だとか…)は何もありません。
控訴審では、被告人の出頭さえ必要ないのですから、
被告人が自宅にいようが、病院に入院して治療していようが、裁判所からみれば何の違いもなく、
実際、裁判官は公判の日まで、被告人がどこでどうしているかなんて、何の関心も持っていないはずです。
(たぶん、思い出しさえしないでしょう。審理の日に、人定質問で住所を言わせる際に、あ、そうか、この被告人は入院中で、住所地は病院になるんだったっけ…と思い出す程度でしょう)。
私は、何の疑いもなく、裁判所が制限住居の変更は認めるものと思っていました。
ところが!、なんと!
その簡易裁判所の裁判官は、「職権発動せず」と言ってきたのです。
つまり、赤城高原ホスピタルへの入院は認めない、あくまで自宅にいろ!というわけです。
私は、びっくりして、簡易裁判所に電話して、裁判官と電話面談を求めました。
電話で事情を説明し、赤城へ入院して治療をしたいだけだ、
この被告人を自宅へおいていても仕方がない、
治療目的で赤城へ行くのがなぜダメなのですか?と尋ねるのですが、納得できる回答はなく、
(裁判官は裁判官で、私の話が納得できないのでしょうね)、会話は平行線をたどりました。
どういう会話の流れだったかまでは、もう覚えていませんが、確か、
クレプトマニアの主張が正しいかどうかについては、ご意見もあるだろうが、
それは高裁が控訴審で判断することだし、
なぜ、既に保釈されているこの被告人について、病院への制限住居を変更を認めていただけないのか?という趣旨のことを思います。
すると、その裁判官は、「私も大阪高裁にいましたからね、どうのこうの…」と言うのです。
え!?、大阪高裁にいた!?
確かに、声のトーンや口調は、知的でインテリジェントな感じはするのです。
でも、言っている内容は、私には意味不明でした。
この人が大阪高裁の裁判官だった?、マジで!?
私は、今でも、なぜ保釈されていたあの被告人が赤城へ入院するのを許可してもらえなかったのか、全く理解できません。
要するに、その裁判官にとっては、その被告人が「気にいらない」というだけなのではないでしょうか。
記録を謄写して見てみると(制限住居の変更申請の段階では、私の手元には一審記録はありませんでした)、
その裁判官は、大阪高裁で裁判長を務め、定年後、簡易裁判所へうつられた方でした。
(正直、のけぞって驚きました。
そんな地位までのぼりつめた優秀な裁判官が、なぜ赤城への制限住居の変更を不許可にするのか?、
私はてっきり、書記官あがりの裁判官なのだろうと思っていたのです。
余談ですが、私は、簡裁で、過失傷害事件の否認事件で、被害者尋問、目撃者の尋問、被告人質問と、3回連続の期日で、
3回とも、裁判官が交代してしまった経験がありました。
1回目の交代のときは、弁論の更新がないまま終わりかかったので、「弁論の更新…、更新」と書記官にささやきました。
2回目の交代のときは、目撃者尋問を終えて、次回の被告人質問の期日を決めようとすると、「私は7月で退官しますから、被告人質問はそのあとで」と言われ、「………」と沈黙しました。
そんな経験もあって、きっとたまたま、裁判官の当たりが悪かったかったんだろうな…と思っていたのです。
なのに、高裁の裁判長ですって????
どういうこと?????)
しかも、記録をみてみると、対立当事者である検察官は、制限住居の変更申請に対して、「しかるべく」という意見を出していたのです!
検察官としては、クレプトマニアという診断には納得はしていないが、アルコール依存とPTSDについては、治療の必要性が認められるため、上記意見としましたという電話聴取書がありました。
つまり、弁護人が赤城治療させてほしいと申立てをし、検察官も「まぁ、仕方ないですね。結構ですよ。」と意見を述べている事案で、
高裁の裁判長まで務めた裁判官が、「赤城へ行って、治療するのは許さん。自宅にいろ!」と言っているわけです。
当事者双方が了承していて、行先も病院なのに、裁判官がそこまでする必要があるのでしょうか。
あまりにも個人的な嗜好や価値観が前に出すぎていて(依存症系が嫌いな人なのでしょう)、裁判官の態度としては不適切だと感じました。
困ったのは、裁判所の職権不発動に対しては、抗告ができないとされている点でした。
抗告の対象がないとされてしまうわけです。
弁護側には、打つ手がないわけです。
それでも、先輩弁護士の知恵を借りながら、高裁の裁判例を探し出し、抗告しましたが、
大阪高裁の係属部は、3週間の夏休み前のやっつけ仕事のように、抗告を棄却しました。
(たぶん、何にも悩んでいないと思います)。
結局、この被告人のケースでは、せっかく赤城へ入院できる手配が整っていたのに、裁判所が職権を発動しなかったせいで、その機会は流れてしまいました。
(後日、高裁に記録が移動した後、係属部(正確には夏休み中の姉妹部)で制限住居の変更を認めてもらって、
ベッドの調整をして、赤城へ入院しましたが、当初の入院予定日から1ヶ月以上が経過しており、
その間は時間は無駄になってしまいました。
あの1ヶ月があれば、もう少し治療が進んで、結果も違っていたのに…と思います。)。
ちなみに、抗告が係属した部の高裁の裁判長も、依存症系なんて大嫌いという感じの方ですが、その数週間後に定年を迎え、簡易裁判所の裁判官になっていました。
しかし、何度考えてみても、自宅から赤城への制限住居の変更が認められない理由などないでしょう。
要するに、高裁の裁判長たちが(定年退官する人は65歳のお誕生日がきた人だし、裁判長になっている時点で60代ですよね)が、依存症系のクレプトマニアを理解できず、「気に入らない」だけなのです。
万引きという悪いことをしたとはいえ、そこに至るまでには様々な事情があったのであって、
自分だけの力では、もはや葛藤を解消できず状態に陥って、苦しんでいる被告人のことを思うと、
病院にさえ行かせてもらえないことが本当に悔しくて、私は、涙が出てしまいました。
皆さん、どう思いますか?
いくら何でも、ひどいと思いませんか?
クレプトマニアの主張を認め、量刑を変更するかどうかは、控訴審の裁判で決める事項ですから、結果がどうなるかはわからないにしても、
既に保釈が許可されている中で、
裁判を待つ間(普通にやっても、3、4か月はかかる)、犯行を至った原因を見つめて、再犯防止に努めるために、
病院に入院して、治療を受ける機会くらいは与えてもいいのではないでしょうか。
控訴審を待っている間なんて、被告人がどこにいても全く同じなのだから…。
この程度の意識改革は、当然に必要な時代がきていると、私は考えています。