立ったままの被告人質問 ~あなたはどう感じますか~
大阪高裁第3刑事部で、控訴審がありました。
裁判長は、被告人質問を立たせたままやろうとしたので、私が「座らせたいのですが…」と言うと、
「何か身体が悪いとか、不都合がありますか」とおっしゃいました。
(私はとても驚きました!)。
その被告人については、当初からごく短時間の被告人質問しか予定していなかったので、立ったままで質問をして、
(かかった時間は、5分弱だったでしょうか)
審理開始から7分で結審したのですが、法廷で傍聴席から見ておられたお母さんによると、
裁判長は7分の間に、2回も(!)時計を見たそうです。(これも驚き!)
実は、この同じ部の審理には、3週間前にもあたっていました。
性犯罪で非常に重い量刑の被告人だったにもかかわらず、裁判長は、そのときも、立ったままで5分でやれと言いました。
しかし、そのとき、私はこの裁判長にあたるのは初めてだったため、
(これまで取下げてしまったケースしかなかったのです)、
そのときは、裁判長が何を言っているのか、意味がわかりませんでした。
5分と時間制限をされたことの意味はわかったのですが、被告人を座らせない意味は全くわからず、
今から思えば、私が裁判長の意図を酌まなかったので、とりあえず座ることだけは許可していたのだと思われます。
今回、別の被告人で、また同じことを言われたことで、
この裁判官は、被告人に立ったまま答えろと言う人で、全ての人に5分と言う人なのだということが初めて理解したわけです。
年配の弁護士に聞くと、被告人質問では、しばらく前まで、第一審であれ、控訴審であれ、
自白事件では、10~20分ないし30分程度の被告人質問は立ったままということは結構あったそうです。
しかし、最近は違うのではないでしょうか。
私は、地裁で立ったままで被告人質問をするよう言われた経験はないですし、高裁でもなかったと思います。
小さな出来事ではありますが、私の衝撃は大きく、驚きの出来事でした。
何が当たり前なのか、当たり前だと考えている価値観がまったく違うことを示していたからです。
世代間ギャップとでもいうのでしょうか。
最近の若い者は…とよく非難されたりしますが、必ずしも年を取ればよいというものではなく、
物事によっては、若い人の方がはるかに人間的な価値観を持っているケースもあるのではないかと感じました。
お上が罪人を裁く感覚なのでしょうか。
「お前の話など聞く価値もないし、お前を人間として尊重する気などない」とメッセージを
出来るだけ上品な言葉と、時計を見るというしぐさで、発しているだけのような気がします。
被告人やその家族は、法廷では非常に緊張しているのが普通です。
普通は、座った方が、落ち着いて話せるでしょう。
椅子をすすめるくらいの思いやりがあってもいいし、控訴審は事後審だから…、うんぬんの問題ではなく、
人間性の問題だと思うのは、私だけでしょうか。
PS:この話をしていると、懇意にさせていただいている精神科医の福井先生が、
「自分はむしろ立ちたい。座っていると落ち着かない。
裁判官に主導権を握られている気がするから」という意見を下さいました。
興味深いご意見です。
被告人やその家族に、わざわざ「立って話したいですか?座って話したいですか?」と聞いたことはないのですが、
彼らは、おそらくは座った方が落ち着くと言うと思うのです。
でも、精神科医である福井医師のような方は、ある意味、自分の主張を展開するスピーチのような感覚で、
立って話される方が落ち着けるし、本来の自分を発揮し、表現できるという感覚があるのかもしれません。
出廷していただける機会があったら、是非、尋問を受けるときも、立ったまま話していただくことにしましょう。
立ったままの被告人質問なんて、考えたこともなかった私にとっては、
裁判長の言葉は、最初は意味がわからないくらい衝撃!だったので、ブログに書いてみました。