被告人の中に見る善なるもの ~教育や子育ての大切さを感じる瞬間~
被告人は何か問題点をかかえているからこそ、犯罪に至り、事件を起こしています。
しかし、接見をしていると、被告人が犯罪に至ってしまった原因になった問題点を感じると同時に、
言葉で表現しにくいのですが、「何か、善なるもの」を感じることもあります。
その「善なるもの」が、犯罪が大きくなってしまうのを食い止めていたり、
被告人がそれ以上崩れていくのを踏み止めさせていたり、
人間関係をかろうじてつないでいたりするのです。
その「善の根源」は、実に人それぞれなのですが、
例えば、この朴訥なお父さんのしつけや生き方の影響かな…と感じたり、
素晴らしい教育者が、先生としていたのかな…と感じたり、
中高生時代に非常に頑張っていた部活動で培った礼儀や態度なのかな…と感じたりします。
そういうときは、幼ない頃の教育や子育ての重要性を身に染みて感じます。
良き教育や子育ては、その人の人生を救う。
しかし、これが十分ではなく、崩れてしまい、犯罪化してしまった場合には、本人も苦しむし、
それを後から補おうとすると、時間もかかる上、至難の業です。
それでも、やはり、1つ、1つ、立て直していくしかないんでしょうね。
今日は、被告人の中に、崩れゆくものと、善なるものを同時に見る複雑な感情を少し書いてみました。