今日だけを見て生きる ~悩まない秘訣~
先日、本屋さんの入り口に積んであったので、買ってみたデール・カーネギーの
「道は開ける。あらゆる悩みから自由になる方法」の最初の章に書いてあった言葉がこれでした。
人間は、1度に1つの事しか出ない。
昨日はただの夢。
明日はただの幻。
しかし、今日をよく生きることは、すべての昨日を幸せな夢に変え、すべての明日を希望に変える。
人はたった1日だけを生きていくだけでいい…。
弁護士数増大化の波の中、司法研修を終えても登録できない弁護士が大量に出る世界で、
(こんなことをしていたら、10年後には、弁護士会は土台を失い、柱をシロアリに食われた建物のように、
一気にドサッと崩れ落ちていくんじゃないかしらと本気で思っているのですが…)、
明日の生活もわからない中で、膨大な雑務と仕事をこなす日々…。
エンジン全開で走りながら、次から次へと処理していってるのに、終わらない大量の雑務、読み切れない大量の記録…。
何とか助けてやりたいと、遠方まで接見に行き、国選事件も頑張るけれど、
移動距離が大きいと、(電車の中では何もしていなかったとしても)、ずしっと身体にこたえます。
国選事件の報酬、特に、公判国選は、裁判員裁判を除いては、信じられないくらい安いんです、これが…。
(私が10か月間、頑張って、何度も病院に通って資料を集め、障害に関する申請もして、
新聞記事に載せていただいた知的障害者の再度の執行猶予事案でさえ、報酬は13万円くらいだったですからね(驚!))。
その上、さらに、詰まっていく予定。
ブログにも書きたかったけれど、書く暇もないまま、日々が流れ去っていきましたが、
先々週の土曜日には、金沢で行われた中部弁護士連合会の刑事弁護経験交流会出席して、
赤城高原ホスピタルの竹村先生のお話を聞き、
(なんと!、金沢でクレプトマニアの治療をして下さる新しいお医者さまが現れたのです)、
先週の金曜から土曜にかけては、武田尾で行われる毎年恒例の大阪弁護士会・刑事弁護委員会の合宿に参加し、
その土曜の午後には、大阪弁護士会で行われた「刑の一部執行猶予制度に関するシンポジウム」に参加していた私…。
こういうイレギュラーな予定が詰まると、わずかな休む暇さえ、消えていってしまいます。
こういう日々を送っていると、つい出口のない悩みと不安に陥ってしまいそうになりますが、
嘆いたところで、外の世界は変わらないことに最近気がつきました(遅い!)。
結局は、自分の心の持ちようを変えるしかなさそうです。
処方箋は、どうやら、「今日だけを見て生きる」ということらしい。
そういえば、この間、光さん(私のHPでご紹介している方で、条件反射制御法による治療を受けて、覚せい剤依存症から立ち直ろうとしている方)と控訴審の被告人質問の準備をしていたとき、
光さんは、NA(ナルコティクス・アノニマス。薬物依存症の方たちが開くミーティング。各地の公民館や教会などで、定期的に開かれています)に通う意義を、言葉に迷いながら、こんなふうに説明してくれていたっけ…。
二度と再犯しないと誓い、生涯薬物を使わないことを目標にしてしまうと、
目標があまりに遠くなりすぎて、不安になり、耐えられなくなってしまう。
でも、NAに毎週参加することで、「次回ここに来るときまでクリーンでいよう」というふうに考えれば、
目標設定が短くなって、不安がなくなる。
NAに参加するのは、クリーンでいられた自分を確認し、いったんリセットして、また明日から頑張ろうと
スタートを切り直すような意味がある。
短い目標設定とリセット・再スタートの行為がつながっていき、結果的に、長期にわたってクリーンでいることが可能になる…ということでした。
今まで、覚せい剤使用・所持の方の被告人質問で、「今日1日だけクリーンでいよう」というのがいいらしいですよ…なんて
えらそうなことを言ってきた私ですが、本当の意味はわかってなかったようです。
光さんの言葉を聞き、D・カーネギーの言葉を自分の生活にも当てはめてみて、ようやく、本当の意味がわかったような気がしました。
「今日1日だけを見て生きる」は、古くは、イエス・キリストも語ってきた言葉。
とりあえず、今日1日、今日1日…を積み重ねて、リセットしていけば、
思いがけないほど、長い道のりも歩けるはず。
そう信じて、明日からまた頑張るしかないか…と思う、日曜の夜なのでありました。