ギャンブル依存症を学んでみた ~シンポジウムと講演者の田中紀子さん~

いつのまにか1カ月が経ってしまったのですが、この9月24日(土)に大阪弁護士会館で行われたシンポジウム

「ギャンブルに潜む闇に光を ~ギャンブル依存症支援に関するシンポジウム~ 」に出席してきました。

(大阪弁護士会館で行われていますが、主催は、大阪府立精神医療センターです。チラシはコレ)。

 

私がこのシンポジウムを知ったのは、大阪府の依存症対策の基幹施設に指定されて、府から委託を受けている大阪府立精神医療センターの精神保健福祉士さんからのつてでしたが、

ギャンブル依存やアルコール依存は、弁護士会でいうと、刑事弁護関係者よりも生活保護問題などを扱う貧困関係の方が深くかかわっています。

貧困問題に関連して、のっぴきならない問題として出てくるからでしょう。

弁護士会からの登壇者は、貧困問題で有名な小久保哲郎先生でした。

(他のシンポジストは、区の保健福祉課の方(フリーダム代表)や、依存症治療に取り組む、精神科医でした)。

 

それに対して、刑事弁護の分野では、被告人たちの中には、アルコール依存症者やギャンブル依存症者は多数いるはずなのですが、意外と裁判の前面には出てきていません。

ちらちらといつも舞台には出ているのだけれど、主役として舞台の真ん中に立つことはほとんどない、常連の脇役さんという感じでしょうか…。

どうしてそうなるのか、私なりに考えてみた理由は、あとで申し上げますね。

 

 

このシンポジウムで基調講演をされたのが田中紀子さんでした。

なかなかパワフルな方という印象でした。

 

日本は、公営競技として行われる競馬、競艇(ボート)、競輪からはじまり、全国津々浦々、どんな離島でもパチンコ店が必ずある国。

外国と違って、ギャンブルがとても身近にあり、買い物帰りの主婦がサンダル履きで手軽にギャンブルが出来てしまう。

(外国でカジノに行くには、多少服装にも気を使わねばならないけど、日本ではそんな必要なし)。

厚生労働省の2014年の調査では、病的ギャンブラーは、全国に536万人もいて、有病率は、実に、5.3%に及び(男性8.8%、女性1.6%)、諸外国に比べて突出して高いのだそうです。(外国は、1%未満の国も多い)。

 

田中さんの解説では、ギャンブル依存症者のイメージは、8つに切り分けられたピザのうち、1切れだけが壊れている感じだそうです。(興味深い例えです)。

きちんと働いていて、学歴も高く、有名企業で働くエリートも多い。

ギャンブル問題さえなければ、性格もいいし、仕事もできるし、家庭でも普通に優しかったりして、何も問題ないんだけど…という雰囲気の人も多数いるようでした。

(あのとき、ああしていれば当たったはずなのに、残念だ…。

今度はこうしたら当たるだろう…などと、妙に分析的に考えることに時間を費やすため、頭のいい人が多いようです。

株やFXなども、本質はギャンブルだとのことでした。)

 

世間の人は、本人の性格や人格の問題だと考えがちですが、実際は、本人はやめたくてもやめられず、最後は、泣きながらギャンブルをしているそうです。

ギャンブルは違法行為ではないので、ギャンブル依存症と正常にギャンブルを楽しんでいる人を区別するのは難しいときもあるようですが、例えば、1日のうちに、何度もATMから少額の引き出しを繰り返しているような痕跡があれば、間違いなくギャンブル依存症だそうです。

依存症者は、「やめなくては」という意識はあるので、「今日はこれだけにしよう」と思って、例えば、3000円など少額を引き出すのだけれど、それがなくなっても止めることができず、結局は、同じ日のうちに何度も「もうこれでやめよう」と思いながら、少額の引き出しを繰り返してしまうとのことでした。

(なるほど…。そういえば、あの被告人の通帳がそれだったかも…という感じです。

裁判では一切ふれませんでしたが…。)

 

 

田中さんは、ご自身が祖父・父・夫と3代にわたるギャンブル依存症者の家庭に育ち(幼少期に親族にギャンブル依存症者がいる家庭で育つと、ギャンブルに対して抵抗感を感じず、親しみやすい価値観が形成されます)、ご自身もギャンブル依存症や買い物依存症に陥って、自助グループで回復した経験をお持ちだそうで、説得力がありました。

パワフルで、とても面白かったので、さっそく田中さんの著書2冊を買って読んでみました。

(こういう実際に体験された方の話は、問題の実態を理解するのに、とても役に立つのです。)

 

    

 

新書の「ギャンブル依存症」の方は、大きな犯罪の裏に隠れているギャンブル依存症について語られた本です。

あの事件は、そういう事件だったのか…と、とても参考になりました。

 

ピンクの表紙の「三代目 ギャン妻の物語」の方は、田中さん自身、祖父・父・夫がギャンブル依存症という環境下で育った成育歴や、その後のご主人との結婚生活の中で、ギャンブルになじむ価値観や生活態度がどんなふうにして作られていくのか、それがどんな形でギャンブル依存症につながっていくのか、病んでゆく経緯と、

GAという自助グループに参加することで、どのように回復していったのか、その回復の経緯を語られたものです。

 

この2冊を読んで、ギャンブル依存症をかなり実感を持って感じ取れたような気がします。

(私は、どんな問題でも、当事者の方や当事者に直接接している方々が書いた現場感覚にあふれた本が大好きです。

非常に勉強になります。

理屈を解説した難しい本は、こういう具体例が書いてある本を読むか、自分が実際に刑事事件でそういう被告人を担当した後でないと、心底から「腑に落ちる形で」理解することはできないと思っています。)

 

内容を全部解説するのは無理なので、興味のある方は、是非ご一読を…。

 

そして、最初の問題ですが、なぜこのようギャンブル依存症やアルコール依存症が、刑事事件で主役として出てこないのかについて、改めて考えてみました。

自分が取り扱った事件を振り返ってみると、薬物依存症やクレプトマニア(摂食障害も含めて)などでは、依存症であることを全面に押し出して情状を主張していますが、ギャンブル依存症を主張したことは1回もないし、アルコール依存症を主張したのも2件だけのような気がします。

(1件目は、犯行の経緯や態様からして理解しがたい異常感がただよっていて、アルコールの影響を受けて暴力を振るっていることを説明して、やっと腑に落ちるケースでした。

2件目は、帰宅の電車内で毎日飲酒していて、飲み方や量が普通でないのは明らかで、接見時も手が震えて離脱症状が見えていた人でした)。

 

少し横道にそれますが、ギャンブル依存症については、1点だけ、ブログに書いておきたいことがあります。

若者のゲーム依存が、犯罪につながる可能性もあって、とても危険だということです。

(私にもし子どもがいたら、ゲーム、特に対戦型ゲームについては取り上げてしまったかもしれません)。

 

担当した若い男の子の事件で、仲間同士で対戦ゲームをすることが日常化していたケースがあったのですが、当時はそれがどうして事件につながるのかがよくわかりませんでした。

その後、ネット依存症などの治療に取り組む数少ない精神科医のお話を聞く機会があり、対戦型ゲームが依存症を引き起こしやすい理由を聞いて、初めて事件とのつながりが理解できました。

 

対戦型ゲームは、激しい色彩や音楽が鳴り響き、刺激が強く、続けるうちに、さらに強い刺激を求め始めます。

加えて、若者は、スマホでソーシャルネットワークはするものの、実は、意外に全く知らない人とつながっているケースは少なく、多くの若者は、「友達の友達」くらいの、ある程度知っている人とつながっているらしいのですが、対戦型ゲームは、仲間意識のある人同士で楽しんでいることが多いのだそうです。

 

そうすると、皆で「この時間に」と集まることになるわけですが、それを抜けるのは仲間に悪いと感じて、抜けることが出来なくなります。

さらに、その対戦型ゲームにお金がかかったり、皆で集まること自体にお金がかかる場合に、自分が仲間に声をかけて集まったときは、自分が集合をかけた以上、そのお金は自分が用意せねばならないという義務感を感じるようなのです。

それらの義務感が強くなりすぎると、どこかで犯罪につながっていくのではないかと思われます。

 

他にも、若い男の子の事例ですが、発達障害傾向があり、仲間についていこうとして、高校生のころからパチンコ店に出入りしていて、犯行当時は、共犯者について、インターネットカジノに行っていたケースがありました。

 

彼から聞く限り、非常に殺風景な場所で、パソコンに向かってカジノをしている風景しか浮かんでこず、私には何がそんなに楽しいのか、全然理解できませんでした。

(接見では、弁護人として、常に犯行時に彼がどんな心情でいたのかを共感しようとして、話を聞いているのですが、どうしてもその感覚を理解できないというか、共有できないというか…)

犯罪まで犯して、ある意味、苦労して得たわずかな金銭を、インターネットカジノであっという間に使ってしまうのはどうしてなのだろう?とずっと不思議に思っていましたが、

今思えば、あの子もギャンブル依存症を発症しかかっていたのかもしれません。

 

ここで、最初に戻って、

刑事弁護の中で、潜在的には大量にいるはずのギャンブル依存症やアルコール依存症が正面から取り上げられない理由を考えてみるに、

① 薬物依存などと違って、それ自体は合法行為なので、依存症と正常と線引きが難しい。

② それを区別するための証拠も集められない。

② 仮に、証拠が入手できて、区別が出来たとしても、それを裁判で主張することは、かえって被告人の不利益になってしまうことが多く、被告人の利益にはつながらない、

からではないかと思います。

 

ですから、被告人の供述調書にチラッと出てきていても、(たいていは生活状況やお金の使徒として、必ず何か書いてある)、そこには踏み込めず、流していくことになるのです。

今回、シンポジウムに参加して、田中紀子さんの本を読んで、「本当にそれでいいのだろうか…」と改めて感じさせられました。

 

裁判では、被告人の不利益になる以上、弁護士としては深入りはできないけれど、その後、刑務所内の矯正教育などで、もっと効果的な形で、真剣に取り上げていく必要があるのかもしれないと思う今日この頃です。

 

ちょっと遅くなりましたが、ギャンブル依存症のシンポジウムのご報告でありました。

 

 

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