思い出す言葉 ~北九州医療刑務所長の言葉~

昨日、一昨日と、一部執行猶予制度に関する協議会のことをブログに書きました。

 

 

 

 

 

 

その中で、執行猶予中の再犯のケースでは、たった4か月の期間を執行猶予にするために、

保護観察期間を2年も付されては、全然メリットを感じない、むしろ、保安処分のように感じるとを書きました。

 

その際、ふと思い出したのは、4年前くらいのことでしょうか、

日弁連人権擁護委員会の毎年恒例の刑務所見学で訪れた、北九州医療刑務所長の言葉です。

 

北九州医療刑務所長は、精神障がい者のための医療刑務所ですが、

当時の所長は、官僚出身者ではなく、精神科医でした。

精神疾患のある難しい受刑者を相手に、柔らかい、柔軟な処遇を実施するには、堅牢な設備と警備が必要だと話しておられたのが印象的でしたが、

その話の途中、所長が、覚せい剤犯について思うことを述べられたのです。

 

 

精神科医である所長は、初犯時は、何もせず執行猶予にしておいて、再犯すると、いきなり3年間も刑務所に入れて、社会から隔絶することはおかしいと思う、

例えば、おじいちゃん、おばあちゃんなどの老人が、骨折したり、病気になった場合を考えても、もしいきなり3年間も入院させてしまったら、

おじいちゃん、おばあちゃんが使っていた部屋は、孫が使うようになり、いざ退院となったときは、部屋がなくなる。

家族は、おじいちゃん、おばあちゃんがいない生活を築きあげてしまう。

 

それと同じで、初犯のときは、何の手当てもせずに、再犯したら、いきなり3年間も受刑させるのでは、帰る場所がなくなるのは当たり前だ。

そんなことをするくらいなら、初犯のときから、執行猶予などにせず、すぐ実刑にしてしまえばいいのだ、と言っておられたのでした。

 

初犯時から実刑にすべきかどうかはともかく、いきなり3年も社会から隔離してしまったら、

その人は、家庭の中でも、社会の中でも、居場所を失う、

その人がいない生活が作り上げられてしまうのだ、…というお話は、なるほど…と、共感するところがありました。

 

薬物犯などの比較的軽微な犯罪者の更生のために重要なことは、

社会から隔絶してしまう期間をいかに短縮して、

社会内で立ち直っていくために必要な支援を与えるかということだと思います。

 

刑務所に入れておいたところで、治らないことはわかっているのに、延々と長期にわたって受刑させるのはどうしてなのか?

 

実は、人を1年間、受刑させるだけで、(正確な額は忘れましたが)、約250万円前後のコストがかかっているのです。

衣食住のための費用ではなく、ほとんどが、戒護にかかる人件費ですが…。

自由というのは、人間の基本的な権利であり、自然な状態なのであって、それを奪うためには、こんなにもコストがかかるというわけです。

 

であれば、もう少しお金の使い方を考えて、社会内で過ごさせる期間を思い切って長くして、受刑期間は短くし、

浮いたコストを、もっと有益なことに使ってはどうでしょうか。

 

 

私が本気でやればいいのにな…と思っていることは、

腕のいい心理士による、全ての薬物犯のカウンセリングの実施です。

 

全ての薬物犯について、1回90分のカウンセリングを3回実施して、その人が「なぜ薬物に依存しているのか」について、

依存の原因を探ってしまうのです。

(私の所に来て下さった依頼者には、出来る限り、カウンセリングに行ってもらい、だいたい3回で、原因を分析してもらっています)。

1回1万5000円+税で、約5万円弱。

それに、分析結果を記載した報告書を書いてもらい、費用は、3万円+税なので、

合計10万円以下で、依存している原因が判明し、

回復と更生に向かって、目指すべき方向性がだいたいわかるというわけです。

 

これは、まだ使用歴が浅く、症状がそれほど重くない人には、非常に大きな功を奏します。

(逆にいえば、覚せい剤精神病を発症してしまっているような重症者には、あまり効果がないかもしれませんね)。

 

依存原因もわからないまま、トンチンカンな方向にむかって走り出して、対処が長引いた結果、

のちのちかかってくるコストや、そのために生じる損失を考えれば、

初期の段階で、カウンセリングに投資する方が、断然お安いというものです。

 

どうすれば、より効率よく、コストパフォーマンスもよく、目的(回復と更生。それが結果として社会防衛につながる)を達成できるのか?という視点は重要だと思います。

飴と鞭を上手につかいわけ、よく頑張ったものには、褒美を与える。

そういうことは、大昔から、例えば、大阪なら、豊臣秀吉が大阪城を建築するときなどにも行ってきたのです。

 

一部執行猶予制度だって、思い切って、大幅に執行猶予期間を大きくして、ご褒美としてうまく活用すればいいものを、

(みんな必死で工夫して頑張りますよ)、

「刑を重くするものでも、軽くするものでもない」とか、「中間刑ではない」とか、理屈ばかりこねまわして、現実を無視するのは、くそ真面目にすぎるような気がします。

 

最終的な目的は、再犯防止、更生でしょう?

 

更生は、有罪判決の言い渡しや懲役刑と違って、強制はできないのです。

本人の自発的な意思が伴わないとダメなのです。

馬を水際まで連れていくことはできても、水を飲ませることはできない、というあれです。

 

だったら、もう少し工夫して、柔軟に対処すればいいものを、

いつまでこんなことを続けるのかしら?と思いながら、

ふと、北九州医療刑務所の所長の言葉を思い出したので、書いてみました。

 

 

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