光さんの検察庁への出頭 ~さあ、出発のときが来た~
私のHPに治療体験記を掲載してくれている光さん(覚せい剤依存症のため、覚せい剤使用の罪に問われ、今回が3回目の受刑になりましたが、
保釈を得て、汐の宮温泉病院で薬物依存症の治療法である「条件反射制御法」による治療を受け、一審判決後も、控訴し再保釈を得ることで入院治療を続け、薬物依存症の克服に努めた方です)が、控訴審で判決を受け(控訴棄却)、とうとう収監の日がやってきました。
保釈された日から、約6か月…。
真面目な光さんは、懸命に努力し、納得のいく治療が十分にできたケースとなりました。
当初のころに比べると、光さんは目が澄んで、心身ともに安定して、本当に元気になりました。
控訴審の公判前ころには、制限住居を病院から自宅へ変更し、約3週間ほどは、仕事、NA、病院通いと本当に忙しい日々でした。(どうしても、病院が遠いので、通うのはかなり大変だったようですが、最後まで頑張ってくれました)。
社会復帰した状態に極めて近い状態を経験してから、収監のこの日を迎えたわけです。
大阪高等検察庁へ、朝9:00の出頭。
夜型の私にはちょっとつらい時間でしたが、そこは頑張って、お見送りしてきました。
8:30AMころ、福島あたりに着いた私が、光さんの携帯に電話すると、これから河原でバリカンで断髪式をするとのこと。
河原でバリカン??、何やってんだか…と苦笑しつつ、河原へ降りていってみると、
ご家族の他に、私もよく見知っている治療仲間が2人、見送りに来てくれており、
出家でもするような心境なのかな…?
理容の経験がある治療仲間の一人が、頭を刈り終わった後、「眉毛は?」というので、
私は、思わず、「眉毛は怖くなるからやめとき。残しときいや!」と、叫んでしまいました。
その結果、眉毛はそっていませんでしたが、刑務所では、眉毛は?と聞いて、結構、頭と一緒に刈ってしまうんだそうです。
(なんでだろう?)
その後、タバコを立て続けに何本も吸って、
コーヒーを一口飲んで、コーラを一口飲んで、またコーヒーを一口飲んで…(苦笑)、
(注:これらは、全て、刑務所では口にできないものです)、
出家の心境かと思いきや、あんた、世俗の煩悩のかたまりやな…(笑)。
それから、検察庁の入り口で受付をし、執行係の人が来るのを待って、皆で見送り、彼は出頭していきました。
とうとう出発のときが来た!
さぁ、行ってこい。
これから約2年間にわたって、彼は、狭い部屋に閉じ込められ、厳しい暑さ、寒さにさらされ、
面倒な人間関係にさらされ、生活の全てにわたって自発的な意思を奪われ、
担当さんの指示に従わねばならない苦しい生活が始まります。
しかし、明るい未来にたどり着くには、どうしても、この苦しい時期を乗り越えなければなりません。
それ以外に方法はないのです。
この辛く苦しい時期を耐え抜いて、1日も早く帰ってこられるように…。
そして、次の出発時には、もう薬物依存に振り回されることなく、妻子とともに、幸せな人生を歩めるように…。
きちんと治療して再犯を防ぐことは、彼自身のためであり、妻子のためであり、両親のためであり、社会のためでもあり、
全ての人にとって利益につながっていくのです。
すべては、そのためにささげられたこの6か月でした。
私は、この方法が、裁判所や検察官からどんなに白い目で見られたとしても、
社会も含めたすべての人にとって、絶対的な「善」であると信じています。
被告人が、再犯しないで更生してくれれば、本人や家族のみならず、社会全体が受ける利益は実はとても大きいのです。
(ちなみに、実際には、検察官や裁判官の中にも、理解を示して、協力してくれる方々も多々います。
しかし、他方で、いまだに旧態然とした価値観の人たちがいるのも事実です。
おそらく、覚せい剤の認めみたいな最も簡単な事件で(今までなら、1回結審で終わりだった。他にすることなんて何もないとされていいた)、
裁判が終結して事件が落ちていくまでに、時間がかかるのが嫌なのでしょうね。
いつまでも事件が落ちていかなければ、係属件数がなかなか減らず、裁判官の成績にも響くのでしょうし…。
あとは、覚せい剤犯への偏見もあるかもしれません。
また、従来の刑事司法の判断や考え方の中は、個人の行為責任の考え方しかなく、
「疾患」や「治療」なんて、従来の判断枠組みの中に位置づけられないのも嫌なのでしょう。
それを取り込むということは変化を起こすということですが、変化には常にリスクを伴いますから…。
山ほどの被告人を目の前で見てきて、現在のやり方が機能していないことは十分わかっているのに、
誰も本気で変えようとしないのです)。
光さんを見送ったその足で、私は、これから新たに治療を始める人の保釈保証金を納付しにいきました。
彼は、今日、入院していきます。
一人、一人は、大海の一滴。
しかし、大海はすべて一滴の水からなるのです。
また、いつか、覚せい剤事案の判決を起案したときの、私の修習生時代の経験を書いてみたいと思いますが、
私は、刑事裁判の場(見方を変えればチャンスの時)を、ただ事件を形の上だけで処理して、
判決さえ出せばよいという場ではなく、
問題を本当に解決するための、現実的で、実効的な場に変えていきたいのです。
なぜか?
自分がもし被告人の立場に立たされていたら、そんな扱いをされるのは絶対に嫌だと思うからです。
そのためには、とりあえず、前進していこうと思います。