忘れられる権利 ~更生の観点から~
先日、大阪弁護士会のO先生からお聞きした言葉です。
とても印象に残りました。
将来、必ず大きな問題になるだろうという予感がしたので、ほとんど理解できていないにもかかわらず、感じたことをとりあえずブログに残しておくことにしました。
忘れられる権利は、インターネット上における情報削除請求権であり、新しい人権のアイデアの1つ。
1)プライバシー権に基づく削除請求権
2)名誉権に基く削除請求権
3)更生の利益に基づく削除請求権
4)写真を公表されない利益に基く削除請求権
5)自己情報コントロール権に基づく削除請求権(自分が発表を取りやめた情報に関する削除請求)
等の側面があると教えていただきましたが、
私が問題意識をもって、O先生にお聞きしたきっかけは、(3)更生の利益との関係でした。
犯罪があると、少年でもない限り、新聞等に実名が報道されてしまいます。
しかし、新聞などの紙媒体であれば、毎日届けられる新しい新聞紙に押し流されて、いずれは目にふれなくなり、忘れ去られてしまうでしょう。
ところが、ネットではそうはいきません。
いつまでも、いつまでも、検索さえかければ簡単に氏名や事件内容が出てきてしまうのです。
誰に対して、どう働きかければ、ネット上からその記載を消してもらえるのかもわからないまま、いつまでも過去の事実に苦しみ続けることになります。
犯罪が公的な関心事であることは、もちろんわかります。
しかし、被疑者・被告人は、検察庁や裁判所等でそれなりの処分を受け、
仕事を辞めざるをえなかったり、今まで築き上げてきた社会的信用を失ったりして、社会的制裁は十分受けています。
そして、そこから立ち直り、更生しようと、懸命に努力をしているわけです。
しかし、検索をかけさえすれば、何年前の事件であっても、どんなに小さな事件であっても、
実名と事件が、いつまでもネットにずらずら現れてしまうとしたら…、
いったん被疑者・被告人の立場に陥ってしまった人は、永遠に「過去の犯罪事実」に制裁を受け続けることになってしまいます。
今は更生して、当時とは、異なる人間になっているにもかかわらず…。
当然、雇用や結婚などに影響するでしょう。
過去の犯罪事実のために、永遠に社会から排除され続けることになってしまいます。
これはやはりおかしいのではないか…。
そう思わずにはいられません。
将来、「更生保護」や、「犯罪を犯してしまった人の社会への再統合」が真剣に考えられるようになったとき、
この権利は極めて重要な権利として議論されるようになるだろう…。
そう予感したO先生の言葉でした。