裁判員裁判の冒頭陳述(3)
(1)(2)と裁判員裁判の冒頭陳述について、普段感じていることを書いてきました。
今日は、その(3)ですが、最後のまとめを書いてみたいと思います。
自分なりに思いをこめて、ポリシーを持って、冒頭陳述をやってきたのは事実ですが、さて、その効果のほどはいかがなものでしょうか?
私の冒頭陳述が裁判官や裁判員にどう見えていたのか、
特に裁判員の方たちの目に、どんなふうに写っていたのかについては、正直いってよくわかりません。
私としては、これからの審理、特に被告人側の主張やストーリーに興味をもってもらえるように
それなりに印象的な冒頭陳述をしてきたつもりではいるのですが…。
まず、弁護士は、そもそも他人の冒頭陳述を見る機会がほとんどありません。
(検察官は、具体的にどんなやり方をしているのかは知りませんが、必ず予行演習をしているそうですね)。
その数少ない機会の一つは、弁護士会でやっている裁判員裁判のリハーサル研修でしょうか。
これは、これから裁判員裁判を行う予定のある実演者が、用意している冒頭陳述や弁論を語り、他の弁護士に裁判官・裁判員席に座ってもらって、傍聴してもらい、その感想を聞くというものです。
実演者にとっては、自分の実演がどんなふうに見えるか、もっとこうしてはどうかというアドバイスがもらえ、
傍聴する側の弁護士にとっては、他人の実演を見て、裁判員席から見るとどんなふうに見えるか、どんな印象を受けるかを、実際に肌で感じ取ることができる貴重な機会ということになります。
とはいえ、検察官と違い、弁護士は組織で動いているわけではないので、傍聴者を集めるのは大変ですし、
裁判員裁判が近いとはいえ、まだ期間があるうちから、実演者が冒頭陳述や弁論を準備してくるのは非常に大変なことです。
そんなわけで、私も初期のころは参加していたものの、最近はこの研修には参加できていません。(スミマセン…)。
しかし、過去に参加したとき、(裁判員裁判が始まった頃だったので、かなり昔なのですが…)、
そのときの感想を思い出すと、最終的な心証は「証拠」で決めるもので、冒頭陳述で決めるものではないものの、
事案に対する「印象」のようなものは、最初の冒頭陳述を聞くと、ある程度はもってしまうような気がしました。
私が初めてリハーサル研修で聞いた冒頭陳述は、覚せい剤密輸の無罪主張の事案だったと思いますが、
「それ、無理筋やん。ほとんど、真っ黒やんか。」
「本気で言っているのかしら?」と思った記憶があります。
でも、実演後に弁護人たちの感想を聞くと、かなり本気で、
「えー!」と思ったのを覚えています。
私は、自分の被告人以外の人に対しては、意外と冷静な面もあるので、そのせいかもしれませんが、
それだけ、弁護人というものは、被告人と一体化してはまり込んでしまう一面もあるということなのでしょう。
かといって、被告人の主張に全然共感しないで、完全に第三者的な弁護人というのもいかがなものかと思いますし、
第三者的な視点も保ちつつ、被告人の主張を語るというのは、言うは易し、行うは難しでとても難しいことだなと改めて感じます。
理想は、「ああ、そんな事情があるのか…。」
「最初に聞いたときは、すごく悪そうに思えたけど、そういう事情があるなら、
検察官の主張からだけではなくて、弁護人の主張の視点からも、しっかり聞いて、見てみないといけないな…」と思ってもらえる冒頭陳述でしょうか。
結局、弁護人が冒頭陳述でするべきことは…というと、冒頭陳述に限らず、他の手続きにも通じることなのですが、
「被告人を理解し、事案を理解し、それを表現する。」
これに尽きるような気がします。
弁護人には、たとえそれが犯罪であったとしても、なお被告人を「理解」し、「共感」して、そこに「美しさ」を見出そうとする姿勢が必要だと思います。
さらに、被告人を理解することと、表現することに対して、「強いこだわり」や「執念」のようなものを持ち続けることが必要なのではないでしょうか。
その弁護人の強いこだわりと、それをどこまでも追及していこうとする姿勢(ある意味、執念のようなもの?)が、最終的には、冒頭陳述の中に漂う「美しさ」のようなものにつながっていく気がするのです。