社会福祉士による更生支援計画案 ~知的障がい者の万引き累犯に向き合う~
先日、約10か月をかけて審理してきた知的障がい者の執行猶予中の再犯(万引き窃盗)の事件の論告・弁論がありました。
彼女は、一見、人の話をちゃんと聞けて、端的な答えができます。
ときには、まるで打ち返されるピンポン玉のように「即答!」という感じがすることさえあるため、
その障害が軽く見られがちでした。
私も、最初に接見した日には、「ぁぁ、これは無理やわ。実刑は避けられない」、「どうしたものか…」と思いながら、
警察署からの帰り道をトボトボ歩いていた記憶があります。
しかし、裁判を通じて、彼女が通っていた病院まで行ってカルテを集めたり、
(保佐の申立ての時も合わせると、遠方まで、3往復しました。
郵送でさせてほしいとお願いしましたが、申請も、受け取りも、郵送はダメだ、直接来てほしいと言われるのです。
雨の中、数少ないバスを待ち続けたこともありました。
しんどかった…)、
療育手帳の判定機関から資料をいただいたり、
すぐそばで彼女を見てきた親族の話を深く突っ込んで聞いたりするとともに、
大阪弁護士会の障がい者刑事弁護MLを通じて、社会福祉士さんを紹介してもらい、
ときには一緒に、何度も面会してもらって、専門的なアドバイスをいただくうちに、
「これは違うぞ。即答するだけで、実は、全然わかってないじゃないか」ということがわかってきました。
そして、社会福祉士さんのアドバイスを受け、
未申請だった障害程度区分の申請をして、
社会福祉士さんに更生支援計画案を作っていただいて、
行政の方々と面談の上、入所施設も決めてきていただきました。
また、私が代理人として、保佐開始の申立てをして、
支援の核となる保佐人が選任されて、(とても素敵な方が選任されました)、
福祉の専門家らによる支援体制が構築されました。
知的障害がありながら、今まで何の支援も受けることができなかった彼女にとっては、初めてのチャンスです。
論告・弁論後、
(ちなみに、検察官の論告も、万引きの犯罪性を指摘しつつも、社会内処遇にも理解を示す内容でした)
被告人が最後の言葉を述べる場面…。
彼女は、弁護人であった私の名前をはじめ、更生支援計画案を作ってくれた社会福祉士さん、
行政の福祉課の障害福祉担当の職員さん、生活支援センターの職員さん、
保佐人さんの名前をすべて1つ1つあげて、
「執行猶予中だったのに、またやってしまって、被害者の方をはじめ、皆さんに迷惑をかけて申し訳ありませんでした。
もう二度としません。
普通の生活を送れるように頑張ります」と、
ハンカチを握りしめ、目に涙を浮かべて、言葉に詰まりながら、語ってくれました。
短い文章で、質問に対して即答はするものの、
その会話に広がりがなく、平板になりがちな彼女が見せた涙と言葉は、本物でした。
判決の日を楽しみにしています。
彼女にとっては、初めての体験で不安でしょうが、今までの家族だけの世界から離れ、
新しい「他者」との世界を歩いて行ってほしいと思います。
私は、情状弁護はそのプロセスにこそ価値があると思っています。
それを実感するとともに、
刑事裁判に、医療、福祉などの「専門家」に関与していただくことの重要性、