光さんは、薬物事案で、刑事裁判中に入院治療を求めて治療した私の「治療的司法・第1号」の方です。
私が、薬物依存症の方の「治療的司法」を実現するために、精神科医の中元総一郎先生やNPO法人アパリと連携して、「保釈をとって、治療につなぐ」弁護活動(精神科の閉鎖病棟を保釈の制限住居にして、刑事裁判中に入院治療をさせるという弁護活動)を始めたころの最初の患者さんでした。
今では、立派に社会復帰して、NAを主催したり、個別装弾や支援をするなど、他の人達を助ける側にまわって活動されています。
いわば「治療が成功した事例」であることが証明された事案です。
治療的司法では、刑事裁判中に治療しても、その人が本当に社会復帰していけたのかどうか、結果がわかるまでには長い時間がかかるため、その効果のほどがわかりにくいのですが、成功していたことがわかると勇気づけられます。
そこで、光さんの事案を、第1号事件としてご紹介しておきたいと思います。
光さんは、当時30代後半で、受刑歴は2回、今回で3回目という状況でした。
現在では、受刑が〇回目という状態でも、本人がきちんと事実を認めていて、身元引受人もしっかりしているなど、釈放しても大丈夫だなと思われるケースでは、保釈が許可されるのですが、当時は、実刑事案だと保釈はほとんど認められていませんでした。
保釈請求のときに、激しく戦わねばならなかったのです。
光さんの事例も、今とは違い、保釈を取るのはとても大変でした。
薬物依存症で2回、受刑した光さんは、前刑の出所後、結婚して、奥さんが妊娠したことがわかりました。
父親になるとわかった光さんは、もう二度と覚せい剤は使わない、使いたくないと思い、
覚せい剤を使いたいという「欲求」と闘い続けました。
光さんは、これまでずっと、覚醒剤を使うときは、コンビニのトイレや商業施設のトイレを使っていました。
そのため、公衆トイレを利用したとき、特に、そのトイレに芳香剤の匂いがしているときに、
覚せい剤を使いたくなるという「条件反射」ができあがってしまっていました。
光さんは、いつも、この条件反射による「欲求」と闘っていたのです。
光さんは、覚せい剤を使わないでいられるようにと、精神科へ行って、お薬ももらいました。
しかし、精神科で処方された精神薬は10種類近くに及び、その中には相性の悪い薬もあって、
精神薬を飲むとかえって具合が悪くなってしまうことも多々ありました。
そして、子どもが生まれた直後、無事出産が終わったことに安心して、張っていた気がゆるんだ光さんは、
とうとう1回だけ…と覚せい剤を使ってしまいました。
「子どもが生まれたのに、なんで薬物を使うんだ?!「」と思われるでしょうが、ここが薬物依存症が病気であるゆえんです。
喫煙者である男性が、緊張の連続で、物事をやり遂げた後、ふっとタバコを1本吸いたくなるのと似ているのかもしれません。
その後は、使用する頻度こそ月1回程度に抑えたられたものの、覚せい剤の使用を完全に断ち切ることは出来ず、
ある日、とうとう職務質問され、刑事に見つかってしまいます。
いったん家に帰された光さんは、必死で弁護士を探しました。
そして、ホームページから、治療とつながっている弁護士である私を見つけ出したのです。
光さんの薬物依存症の治療への取り組みが始まりました。
この当時の光さんは、とても不安定でした。
例えば、
・打ち合わせの日時を何度も私に電話してきて確かめる。(確かめないと不安になるようでした)。
・会いに来たNPO法人アパリの尾田さんがたまたまスーツを着ていたところ、「連れて行かれる」と言って立ち上がり、退室しようとする。
・事務処理能力も落ちている。
といった症状がありました。
光さんは、弁護士の私と相談し、NPO法人アパリの尾田真言氏とも会って、コーディネート契約を済ませました。
そして、汐の宮温泉病院を受診して、精神科医中元総一郎先生の診察も受けた後、警察に出頭しました。
警察の階段を後ろも振り返らずに駆け上がっていった光さん…。
一緒についていった私は、警察署の入り口でいきなり走り出し、2階へと階段を駆け上がっていく光さんにびっくりしたのですが、
後から聞くと、出頭を前になかなか踏ん切りがつかない気持ちの中、ふと横を見ると、子どもの無邪気な顔が見えて、
「自分は今まで自分の事しか考えていなかった。こんなことしてたらあかん!」という気持ちになったのだそうです。
起訴後、現在の結のぞみ病院(旧汐の宮温泉病院)の閉鎖病棟を制限住居に、保釈請求をして、
保釈許可をいただきましたが、当時は検察官に準抗告されました。
(今では、信じられませんね。今なら、準抗告など絶対されないでしょう)。
結局、準抗告は棄却され、無事、入院できました。
光さんが拘置所に送られることはありませんでした。
今では当たり前の光景なのですが、当時は、こんなふうに「実刑事案であっても、治療するんだ!!」という姿勢を示すだけで、ものすごく戦わなければならなかったのです。
釈放後、光さんは、病院の閉鎖病棟に入院しました。
当時は、薬物専門病棟ではなく、統合失調症など別の精神病の疾患をもつ方も多くいて、拘置所に比べればまだましなものの、 けっして楽な場所ではありませんでした。
光さんが私に電話してくることはなかったので、
私は、「さすが光さん、覚悟が違う。頑張ってる!」と思っていたのですが、
あとから聞くと、自宅にはしょっちゅう公衆電話を使って電話して、弱音を吐きまくっていたようでした。
奥さんが、電話口で、光さんを励まし続けたようです。(内助の功ですね!今でもこのお二人は本当に仲のよいご夫婦です)
光さんは頑張り続け、着々と以下の治療ステージをこなしていきました。
光さんは、各治療ステージでの治療の実施回数も非常に多く、とても優秀な患者さんでした。
①第1ステージ キーワードアクション
これから覚せい剤を使用しない時間が続くのだという負の条件反射を設定する治療の第1ステージ
②第2ステージ 疑似摂取
疑似注射器を使って、覚せい剤摂取と全く同じマネをしながら、身体には快感がないという経験を積み上げていく治療の第2ステージ
③第3ステージ 想像摂取
自分が覚せい剤を使用していた典型的な1日を詳細に作文に書いて、それを読み、あえて自分自身を覚せい剤の渇望を引き起こす刺激にさらず治療の第3ステージ
④第4ステージ 維持
これまでの条件反射制御法による治療を定着させ、維持していくための第4の治療ステージ
このころには、例えば、公判期日に出廷するために自宅へ戻った外泊の機会を利用して、疑似注射器を持って帰り、自宅でも疑似接種をやってみるなど、徐々に行動半径を拡大させて、刺激に耐えられる力をつけていきました。
治療中、光さんは、平成25年10月12日に天満橋で開かれた「第2回 条件反射制御法 関西研修会」に、中元先生の患者役で出演し、ロールプレイにも参加してくれました。
この研修会には、たくさんの関係者の方が参加して下さいました。
当時は、薬物依存症に対する新しい治療法として注目されていましたし、患者さんが顔を出して実演してくれるというのは珍しかったのですね。
この治療を続けながら、光さんは、公判期日にはきちんと出廷し、アパリの尾田氏と家族が情状証人にたちました。
出頭前に比べて、目が澄んで、各段に安定して元気になった光さんは、
被告人質問では、治療の経過や、家族への感謝の思い、出所後の再起にかける思いなどを話して、
一審の判決言い渡しを受けました。
そして、一審判決の当日、再保釈請求をして(同時に控訴もしています)、保釈許可決定をいただきました。
光さんは、その後、維持ステージへと進み、控訴審中に退院して、いったん自宅は帰りました。
そして、控訴審判決の確定後、自宅から出頭しました。
出頭のときは、まあ、大変でしたね。
治療仲間らに見送られ、私も見送りに行ったのですが、右手にたばこ、左手にコーヒーを持って、交互に飲みながら、出頭していきました。
「煩悩の塊やな」と苦笑いした記憶があります。
その後、光さんの事例をHPに掲載させてもらったのですが、光さんは、以下のような感謝の言葉を述べていました。
道を作ってくれた西谷先生、
サポートしてくれたアパリの尾田さん、
治療をしてくれた中元先生、
厳しくしかってくれたお母さん、
何も言わずに見守ってくれたお父さん、
励まし続けてくれた奥さん、
そして、そばにいてくれた息子、
皆に感謝しています。
受刑後、光さんは、優良受刑者として受刑生活を過ごし、仮釈放を得ました。
出所後も順調に回復し、今ではNAの主催者の一人になっています。
私のクライアントの個別装弾に乗ってくれたりもしました。
私は、光さんはこの治療で必ず回復する…、と思っていましたが、他人の助けに回るとまでは思っていなかったので、精力的に後輩たちの相談に乗ったり、法廷を傍聴しにきてくれたりする光さんの姿に驚いたものです。
大阪で行われた「リカバリーパレード」(毎年行われている薬物依存症やアルコール依存症者の回復パレードです)や木津川ダルクの加藤さんや他の回復者らとの飲み会で、光さんと顔を合わせるのですが、いつも奥さんと一緒で、仲むつまじい姿は昔とかわりません。
子どもさんも大きくなったようで、薬物にふりまわれず、着実に、自分自身の人生を生きている様子が伝わってきました。
あのときからかなりの年数が経ちましたが、大成功事例だったとといえるでしょう。
一部執行猶予制度が施行され、身体拘束も緩やかになってきたことで、
今では、治療目的の保釈が広く認められるようになりました。
光さんの時代は、「治療目的の保釈」だというと、「そんなことは受刑後にやれ」と言われて、保釈許可1つとるだけで、本当に大変だったのです。
時代は、思ったより早いペースで変わっていくものですね…。
今では、薬物の認め事件なのに、治療しないで過ごしていると、逆に「本当に反省しているのか」「やめる気はあるのか」と疑われてしまいそうです。
治療の受け皿も広がりました。
つらいことも多い世の中ですが、少しずつ変わっていっているし、薬物の治療が広まるなど、いい方向に向かっています。
実際に、裁判後の受刑を乗り越えて、社会へ戻ってからも、薬物を使用せず、安定した生活を維持して、むしろ人助けにまわっている光さんの姿を見ると、やはり「治療的司法」は正しかったのだと思います。
これからも、よりいっそう刑事裁判を人生が好転する転機とかえる治療的司法を推進していきたいと思います。
今後も治療的司法を広げる弁護活動をしていきたいと思います。
PS: 光さんには、「受刑の経験」や「出所後の回復した生活」について、また投稿してもらおうと思っています。