PART2では、ハナさんのインタビューを掲載したいと思います。

ハナさんのケースは、「摂食障害事例」という点からも参考になりますが、

それ以外にも、

「親子関係の問題」、

「性被害の影響」、

「生まれてきた意味がわからない」、「生きていることの罪悪感」、「自己肯定感の低下」

などなど、クレプトマニアの方の多くが抱えている問題や、心理的な特徴が現れていて、クレプトマニアの方達たちのイメージを持つ上で、参考になると思います。

 

摂食障害の悪化から、万引きが出てしまうことに苦しみ続けてきたハナさん…。

フルコースの治療を実施して、摂食障害に正面から向き合って、回復軌道に乗っていったハナさんの言葉をどうぞお聞きください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私: 摂食障害の発症には、必ず生い立ちの影響がありますよね。

ハナさんのご家庭の場合、少し田舎だったため、お父さんは、「女性は早く結婚して、子どもを産み、家を継ぐものだ」という典型的な田舎の価値観を持っていました。

そのため、長女であったハナさんに対しては、しつこく結婚を勧め続けました。

ハナさんは、そんなお父さんに対しては、どんな思いがありましたか。

 

ハナ: 父は、一家を支える大黒柱でした。

世間一般には、ごくごく普通の人に見えると思います。

しかし、私から見ると、自分の思いどおりにならないと、癇癪を起こす人であり、人の痛みに対して、無頓着な人です。

父は、父にとっての幸せが、私にとっても幸せだと信じて、全く疑っていません。

そして、父の価値観を押し付けているのです。

それが、私にとって、どれほどの痛みを与えるかについては、全く想像もできないのです。

初めて警察に捕まった後、性被害にあったことも言ったのですが、「お前は嘘を言っている」と言われました。

 

私: お母さんは、兼業農家の嫁で、フルタイムの仕事をもちながら、家事・育児をこなし、土日には農作業もしておられましたね。

一見すると、忙しい中でも子どもの面倒はみているように見えるのですが、お母さんに対しては、どんな思いがありましたか。

 

ハナ: 一言で言えば、母は、ご飯を作ってくれる人でした。

一社会人として、頑張っていたし、農家の嫁としても、すごく頑張っている人でした。

それなのに、父には苦労をかけられっぱなしの人で、可哀そうだな、と思っていました。

 

ただ、母は、そういう作業的な子育てはしれくれたものの、子どもの心に寄り添ってくれる人ではありませんでした。

初めて警察に逮捕されたとき、初めて、「摂食障害なんです。」と母に告白しました。

しかし、母は、「そういうことは私にはわからないので、専門家に聞きなさい」と言いました。

「自分で解決しなさい。あなたの問題なのだから、あなたが頑張りなさい。」というスタンスで、母親として、子どもと一緒に問題を解決しようとする気はないのです。

一見、手を差し伸べているようで、握り返そうとすると振り払う人でした。

 

ただ、子どもの心に寄り添うことはなかったけれど、母は、母なりに、一生懸命、良い母であろうとしていたと思います。

例えば、お稽古バッグを作ってくれたし、お洋服を作ってくれたこともありました。

 

私: そういう家庭の中で、幼いハナさんが抱えていた思いは、どんなものでしたか。

 

ハナ: いい子でいないといけないと思っていました。

困っていることがあったり、相談したくても、口にすることができない家だったと思います。

両親は、仲が悪く、今でも、なぜ2人が一緒にいるのか、わかりません。

子どもが問題を起こしてはいけない。

そんなことをしたら、本当に家庭が破綻してしまう、と思っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私: ダイエットがきっかけで、17歳で摂食障害を発症したんですよね。

最初は拒食から始まって、過食に転じたのですね。

ハナさんの場合、どれくらいの量を食べて、どんなふうに過食嘔吐されるんですか。

 

ハナ: 以前は、お弁当だと、5つくらいを食べていました。

最近だと、はきやすい物として、<うどん6玉+食パン1斤>、<食パン2斤+袋麺2つ>、<ご飯なら5合くらい>を、水分と一緒にとって、ドバっと吐きます。

今回の事件のときも、1玉20円くらいのうどんや、パスタ、安い食パンを使っていました。

 

私: 摂食障害はなかなか完治はしないので、できるでけ回数を減らして、安い食材で対処できるようにしないと、経済的にも、もちこたえられないですよね。

 

私: ちなみに、食費って、どれくらいかかりますか。

 

ハナ: 安くあげないで、普通にお弁当やお惣菜や菓子パンなどを食べていると、1日5000円くらいかかります。それが30日ですから、1か月で、15~18万円くらいでしょうか。

 

私: 安いうどん、食パン、ご飯、パスタなどですませると、どれくらいですか。

ハナ: 3万か、4万円くらいかな。

 

私: ハナさんは、2回、性被害にあっていますが、性被害にあったことは、摂食障害や万引きにどんな影響を与えたと思いますか。

 

ハナ: 自分自身がけがらわしいという気持ちになるので、最初は食べなくなりました。

でも、身体は飢えているので、そのうち、過食してしまい、吐いていました。

自分自身で警察にいって、守ってもらうなんて、とんでもないことだと感じました。

食べ物と一緒に吐き出すことで、汚らわしい自分がきれいになるという感じです。

過食嘔吐は、自分を浄化するための儀式のようなものでした。

 

私: ハナさんの場合、自分の女性性について、どんな思いがあるのでしょうか。

 

ハナ: 私、小さいときは、本気で、大きくなったら、男になると思っていたんです。

父が、男の子を望んでいるというのが、端々で感じられていたからで、親の期待にそおうとする気持ちがあったのだと思います。

他方で、母が結婚生活で苦労しているのを見ていましたから、幸せな結婚なんて、想像もできませんし、子どもを産むなんてことも、想像できませんでした。

男性にもなれないし、なりたくもないし、かといって、女性にもなりたくない。

性被害にあってからは、特に、ボディイメージとしては、小学生のような身体でいたいと思っています。

 

私: だからこそ、食べて、ふっくら太ることは拒否してしまうのでしょうね…。

 

私: あと、自己肯定感とか、生きることへの意欲については、どんな思いがありますか。

 

ハナ: 昔、母に、「なんで父と離婚しないの?」と聞くと、「あなた達子どもがいるのに、離婚なんて、とんでもないことでしょう?」という答えが返ってきました。

その言葉に、私は、「私が生まれてこなければ、母にはもっと別の幸せな人生があったのではないか。」と感じてしまいました。

生まれてきたことへの罪悪感があったのです。

 

こころは、生きることを拒否しているのだと思います。

でも、生物として生きる欲求があるから、食べてしまい、食べたくないとの思いの間で矛盾を抱えてしまうことになりました。

「あなたは生まれてきたよかったのですよ。ここにいてもいいですよ。」という言葉が欲しいのです。

 

私: 公立病院に勤務していた頃は、仕事への不満はあっても、過労状態にはなりにくかったので、万引きは抑えられましたが、私立病院に勤務するようになってから、少ない人数で仕事を回さねばならない状況になって、摂食障害が悪化し、万引きを抑えきれなくなりましたね。

当時は、残業をこなすだけでなく、委員会活動のような仕事と直結しない活動も、頼まれると全部引き受けていて、過労状態に陥ってしまうからだと思うのですが、どうしてそこまでして、仕事を引き受けてしまうのでしょうか。

 

家の中に居場所がなくて、職場が自分の居場所だと感じていたからです。

もともと家の居心地は悪かったのですが、初めて警察に捕まってからは、家族に顔向けできず、ますます家に居場所がなくなってしまいました。

妹たちは、私がいないかのような雰囲気でしたし、父や母も、見る目が違っていました。

何とかならんかね…、という感じでした。

あなたがいないとダメだと言ってもらいたくて、職場で過剰に頑張ったのだと思います。

 

私: 治療についてお聞きしますが、ハナさんの場合、結局、赤城高原ホスピタルには8か月間入院していたのですね。

 

私: 赤城高原ホスピタルでは、どんな治療をしていたのですか。

赤城での治療は、ミーティングが中心です。

ミーティングでは、アノニマスネームという自分の好きな名前を名乗って、自分の正直な気持ちを話し、他の仲間の話を聞くだけです。

批判も非難も一切しないし、称賛もしません。

言いっぱなし、聞きっぱなしですが、ここでなら、受け止めてもらえる。

ここだったら、何でも話していいんだという思いで、話すことができます。

 

他にも、医師による、あらゆる依存症と共依存に関する講義がありました。

依存症について、正しい知識を身に着けます。

 

サイコドラマという治療法もありました。

演劇療法なのですが、患者やスタッフ数人で、ロールプレイをします。

私の場合であれば、父親役、母親役をすることで、自分目線ではなく、父や母がどのような思いであったのかと想像することができました。

 

また、きちんとルールや規則を守る態度を身に着けるため、買い物へ行くときは、透明のバッグにお財布とお守りだけを持っていきます。

帰ってきたときは、看護師さんが、レシートと商品の照合をしてくれます。

 

私: 赤城での治療を通じて、一番心に残ったこと、気づいたことは、何ですか。

 

ハナ: 一言で言うと、「他人と過去は変えられないけど、自分と未来は変えていける」ということです。

それが一番大きな気づきです。

これは、赤城で治療を受けた方、皆が言います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私: クレプトマニア医学研究所(母体は、SOMECと同じ)で受けた認知行動療法はいかがでしたか。

ハナ: クレプトマニア医学研究所でのグループミーティングは、臨床心理士の主導のもとで、話が変な方向にはしらないようにしてもらいながら、皆で一緒に意見を言い合って、考えていきます。

自分だったらこうする、こう考える、ということまで言い合えることが、赤城とは違うところです。

赤城のミーティングでは、「自分だったらこうする」とか、「こういう考え方もあるよ」と言うことは、タブーですから。

臨床心理士がついているからこそ言えることで、ありのままに、正直に、私ならこうするよ、という他のメンバーの意見を聞けたところが、よかったです。

 

私: たくさんのKAに参加しておられるようですが、KAへの参加にはどんな良さがありましたか。

 

ハナ: KAでのミーティングは、赤城でのミーティングがお手本になっていますから、ありのままに聞くだけ、話すだけです。

病院との違いは、社会の中で、頑張っている人達の集まりというところです。

先ゆく人は、ワンステップ先の世界を話されます。

そういう人を見ると、私もああなりたいと思い、頑張れます。

 

新しい人が来たときは、昔の私と同じようなことを言っているな、新しい人にもちゃんと伝えたいな、と思ったりします。

 

私: ハナさんの場合、遊園地の子ども食堂でアルバイトをしたんですよね。

これはどんな効果がありましたか。

 

ハナ: 遊園地というのは、子ども達と家族が、特別な時間を過ごすために来ている特別な場所です。

子ども達は、家族と一緒に遊園地に来ることができて、幸せにあふれています。

子ども達は、口いっぱいに食べ物をほおばりながら、家族で楽しい、大切な時間を過ごします。

そのお手伝いをすることで、私自身が、生きる喜び、食べる喜び、家族との楽しい時間を追体験することができたと思います。

 

私: あと、ハナさんのケースでは、自宅のお部屋を大改造しましたね。

BSの見られるテレビを置いたり、お気に入りのソファとクッションを見つけて、カーテンも変えたりして、ハナさんにとって、居心地のいい空間を作っていただきました。

これには、どんな効果がありましたか。

 

ハナ: プライバシーが確保された私だけの場所を持つことができたと思います。

以前は、テレビも居間で家族と一緒に見ていたし、部屋数があるわりには、プライバシーの守られた自分だけの空間がなかったんです。

でも、居心地のいい、自分だけの空間を作ったことで、今では、家に帰ってゆっくりしようと思えるようになりました。

 

私: 別の事例では、溜め込み障害のあった方が、治療後は、自分で自宅を掃除して、溜め込んだ物を減らす努力をして、それが裁判でも治療効果として評価されたことがありました。

クレプトマニア弁護では、弁護士は社会内処遇を主張しているわけですから、精神面で、本人が両親とコミュニケーションできる状態を作るといったことのほかに、物理的にも、自宅に、本人が落ち着ける場所をきちんと確保するといったことが重要だと思っています。

弁護士達には、ぜひ、本人の居場所は、本人にとって落ち着ける場所になっているかを確かめてほしいですね。

 

私: 最後になってきましたが、クレプトマニアに一人として、刑事裁判や裁判官に対して、どんなことを希望されますか。

 

ハナ: 私にとって、刑事裁判は、今までの人生、生きてきた過程を洗いざらいさらけ出し、分解して、組み立て直す良い機会でした。

まるで、まな板の鯉でしたが、きれいに解剖して、悪いところを見つけ出すことができたと思っています。

悪いところとしては、生きづらさと歪みがあって、生きづらさは、消してしまうことはできないけれど、和らげることができる、歪みは、カウンセリングなどで治していけると思っています。

 

裁判官に対しては、悪いことをしていることは本人もわかっているので、なぜそうしてしまうのか、行動の裏側を見てほしいと思います。

 

私: では、最後に、ハナさんから、弁護士達に伝えたいことがありましたら、おっしゃって下さい。

 

ハナ: 弁護士の先生達には、六法全書にそうのではなくて、被疑者・被告人の心に寄り添って弁護して欲しいとお願いしたいです。

でも、最後は、結局、本人自身が立ち直っていくしかありません。

そういう意味では、その人の人間力、生きる力を信じるしかないと思います。

人間力と生きる力を信じる弁護活動をしていただきたいです。

 

私: どうもありがとうございました。