~クレプトマニアと摂食障害について~
ここでは、刑事裁判をきっかけに、赤城高原ホスピタルへ入院し、治療して、
クレプトマニアと摂食障害から回復していった藤乃さんの言葉をご紹介します。
万引きがやめられなかった自分のつらい経験を経て、治療で多数のミーティングに参加した藤乃さんがどんなことを学び、
刑事裁判を通じてどんなことを悟っていったのか、ぜひ読んでみて下さい。
◆ 摂食障害の発症の経緯についてですが、大学生活を始め、両親と離れた時に発症していることについては、
今ふり返ると、どういう理由からだと思いますか。
両親と離れたことで、初めて、素の自分が出てきたのかもしれません。
しかし、いざ「自分の意思で選択しなさい」と言われても、
今まで成長の過程で、そういう経験を積み重ねていなかったので、どうしたらよいか、わからなかったのだと思います。
◆ そういう自分探しの思いが、なぜ「摂食障害」という形で現れたのでしょうか。
それは、わかりません。
見た目から変えたいという思いと、食に対する興味や関心が同時に私のなかに存在していました。
食べたいけど痩せたい願望が、まず強く出てきてしまったのかもしれません。
◆ 大学生のとき、初めて通った心療内科を探したのは、藤乃さん自身ですか。
はい
◆どんな思いから、病院を探し出したんですか。
何とかしなくてはと必死でした。
専門の医師の力を借りて、早くどうにかしたかった。
そこなら何とかアパートから通えるかも…と思いました。
◆ 医師からは、なんと言われましたか。
あなたのしている行為(過食して吐く)というのは、人間のする行為ではない。
本当に不自然な行為なのでやめなさいと言われました。
◆ そのとき、どう感じましたか。
すごくショックで、自分はよっぽど最低レベルの生き物なんだ…って思いました。
自分でもおかしいとは思っていたけれど、おかしく思いながらやめられないから相談に行っているのに、
そう言われてしまっては本当にどうしようもなくて、すごく落ち込みました。
◆ 結局、そのお医者さんは、どうやって摂食障害を治せとアドバイスされたのでしょうか。
アドバイスっていうか、ただもう本当におかしいからやめろと、自分の意思で止めなさいと言われました。
◆ それだけ?
はい、それだけです。
◆ この受診の後、自分の摂食障害について、どんなふうに思うようになりましたか。
それまでも思っていたんですけれども、やっぱり自分のしている行為は本当におかしくて、異常なもので、人には絶対に知られてはならない。
人に相談したり、ばれてしまうようなことがあってはいけないものなんだ…と思うようになりました。
◆ このときのトラウマは、その後の治療にどんな影響を与えたと思いますか。
どうしても、当たり障りのないことしか言えなかったり、
万引きが伴っているとか、本当にことを言えなかったりしました。
お医者さんに対して不信感もありましたし、自分の行為が恥ずかしいという思いが強くなったので、
お医者さんに行くこと自体が嫌で、足が遠のいてしまいました。
◆ そのころから、万引きで、何度もつかまっていますよね。
はい
◆ この当時は、どうして自分は万引きしてしまうと思っていたのですか。
私は、摂食障害の過食嘔吐タイプだったので、過食のための食料を手に入れなければならないっていう強い思いに
突き動かされているというふうに感じていました。
◆ では、当時は、クレプトマニア(病的窃盗)なんていう病気があることは知らなかったのですか。
全く知りませんでした。
◆ 万引きで捕まるたびに、次はどうしようと思うのですか。
もう絶対にしない、万引きには二度と手を出さないと思っていました。
◆ そのときは本気でそう思っているのですか。
はい、本気でそう思っています。
◆ それなのに、結果的にはまたくり返してしまった。
今思えば、どうしてくり返してしまったのだと思いますか。
今思えば、私は、大学時代から常に自分の中にいろいろな不安とか不満とかを抱えていて、
そういう現状を何とかしたいっていう強い思いがあったのですが、それを何とかすることができない、
何とかする術が見つからない、
そういう葛藤とか焦りっていうのを万引きをしたり、過食嘔吐をしたりすることで、解消しようとしていたんだと思います。
品物を得るための手段ではなく、万引きをすること自体が目的になっていたんです。
不安や不満は消えません。
次々と現れます。
私は万引きという行為に依存していました。
自分自身の意思の力だけでは自分の行動をコントロールできなくなっていました。
◆ 自分自身、万引きをくり返して止められないことで、どういう思いでいましたか。
自分がしていることは犯罪だっていうのは、頭では分かっているのに、それをやめられない。
何か不安を抱えたときに、そこにいってしまう自分というのが本当にみじめで、すごく嫌いでした。
◆ 罰金から正式裁判になり、執行猶予判決を受けましたね。
それでも再犯してしまって、初めて身体拘束されたときは、どんな思いだったのですか。
実刑判決を受けたときは、保安員に見つかったとき、子どもを連れていました。
子どもを抱っこしながら警察に連れていかれて、手錠をかけられ、子どもは婦人警官さんに連れていかれました。
それから出所まで抱っこできなくなるわけなんですけれども、警察の留置場に入れられて、
これできっと刑務所に行くだろうと思ったとき、「私はこれで本当に万引きをやめられるかもしれない」と思って、
そのときは、逆にほっとした部分もあったんです。
◆ 今回の事件で逮捕されたときはどうでしたか。
今回は、前回と違い、自分は、刑務所を出てもでも万引きしてしまう人間なんだ…っていう絶望しかありませんでした。
前回は、刑務所に行くことになって、刑務所に行けばやめられる、これでやっとやめられるんだ…と思って、
自分の中で希望を持ったところもあったのですが、
今回は、それでもやめられなかった自分に対して、何の希望も持てなかったし、本当に「絶望」しかありませんでした。
◆ 受刑中、ご主人や子どもさん達に対して、どんな思いでいましたか。
主人や子ども達は何一つ非がないのに、私の家族であったばっかりに、しなくていい我慢とか、つらい思いとか、
苦しい思いをさせてしまっていることに対して、本当に申しわけないと思っていました。
会いたくて、会いたくて、何かしてあげたくて、でも出来なくて、寂しさとか、悔しさとか、悲しさとか、申し訳なさとかで、胸が張り裂けそうな日々を過ごしていました。
◆ もう二度と過ちはくり返さないという思いで出所してきた後、再犯防止のためにどんな策をとっていましたか。
大きなバッグは持たない。
財布しか持っていかない。
買い物はなるべく家族と一緒にいく。
生協とか、宅配業者を利用する…などしていました。
◆ それだけ努力したにもかかわらず、たまたま1日だけ、子どもを保育所に迎えにいくために普段は働いているお昼間の時間帯に自転車を走らせていた…、
ただそれだけで、何か気分が浮かれたような、不思議な高揚感を感じて、再犯してしまいました。
その理由について、治療を受けて、クレプトマニアという病気を知った現在では、どう思うようになりましたか。
私がしていたことというのは、本当に表面的なことで、行動を矯正する対処療法だけでは、万引きを我慢しているに過ぎませんでした。
常にいつ万引きをしてもおかしくない危険がつきまとっていたのだと思います。
自分がなぜ万引きをしてしまうのか、なぜこんな状況に陥るまでやめられなかったのか、
そういう自分の心の深いところまで徹底的に見直して、自分を本当に改善していこうとか、
変えていこうという意識までなかったんだと思います。
◆ 赤城高原ホスピタルへ入院した後、治療を経て、学んだこと、変わったことを聞いていきますね。
◆ まず、赤城では、どれくらいミーティングに参加しているのですか。
朝と夕方に1回ずつ、ほぼ365日ミーティングがあります。
さらに、クレプトマニアは、週に2,3回は昼間にもミーティングがあるので、多い日は、1日4回のミーティングに参加しています。
◆ 治療の経過を聞いていきますが、入院当初は、どんな思いで入院しましたか。
当初は、自分がクレプトマニアと言われても実感がなかったので、自分が本当に心の病なんだとは思えていなかったり、
保釈後、しばらく家族のそばにいたので、離れる寂しさや、他人と生活する煩わしさもあり、
積極的にミーティングでどうしよう、こうしようというところまでは考えられていませんでした。
◆ 最初の変化が表れたのは、いつごろですか。
2か月くらい経ってからです。
◆ 2か月くらい経って、どんなふうに思ったのですか。
保釈されていましたから、何度か公判などで自宅に帰るたびに、
私は普通に買い物をしていて、お金を払って普通に買い物をするということに、
とても快感を覚えるようになっていたので、私はもう普通に買い物が出来るんだ、もう万引きなんかしないだろう、
大丈夫だって思うようになりました。
◆ そのとき、竹村先生からどんな指摘がありましたか。
万引きをすること、その行為に対する快感というものは強烈なもので、それは脳の中に回路が出来上がってしまっている。
普通にお金を出して買い物をするというのは日常行為なので、それは次第に当たり前になっていく、
万引きの快感にはとても及ばないものなので、それで治ったとは到底いないだろうって言われました。
◆ それを聞いて、どう感じましたか。
とてもがっかりしました。
◆ しかし、これではまだダメだということで、治療を続けていったわけですね。
はい。
◆ 4か月間、治療を続けた今、クレプトマニア(病的窃盗)という病気について、どう考えるようになったか、お聞きしますね。
まず、万引きをくり返し続けたのは、なぜだったのでしょうか。
私の中の不安とか不満とか、現実とのギャップとか葛藤とかいうものは、常に消えることなく私の中にあって、
万引きは、最初は物を得るための手段だったのが、
私のそういう負の感情を解消するための、日常生活を送るためになくてはならないものになってしまっていました。
◆ クレプトマニアの人というのは、万引きをすることで、商品以外の何を得ているのでしょうか。
自分の中にあるいろんな不安とか不満とかを解消できるもの、その衝動が万引きであって、
万引きをすることでさらに生きていくパワーというか、
万引き出来たとか万引きをしてやったとかいうことでパワーみたいなものをもらったり、快感を得ています。
もう少し詳しく説明すると、
クレプトマニアは、窃盗依存、衝動制御障害と言われています。
自分の心の中に何かしらのマイナスの感情を抱いたり、自分を取り巻く環境や状況が思い通りにはいかないような時に、
万引きをすることによってその気分を解消したり、忘れようとしたり、快感を得ることで、
生きるパワーを得ようとしたりします。
万引きをすることで、そんなふうに気分を変えられることを学習してしまうので、(回路が出来上がる)、
やがてそれをせずには落ち着かない、不安になる、イライラするといった感情まで出てくるようになります。
最初は物を得るための手段でしかなかった行為なのに、やがて万引きをすること自体が目的になってしまうのです。
気分を変えたり、快感を得るために依存してしまうという点で、ギャンブル、買い物などの行動依存と呼ばれるものに分類されます。
れっきとした依存症、心の病です。
しかし、病だからこそ治療があり、回復、治癒というものが存在するのです。
意識やモラルや人間性の欠陥ではないところに救いがあるのです。
心の病からくる異常行動なら、専門家の手助けによって改善していくことができます。
◆ では、クレプトマニアから回復するというのはどういうことであり、回復のためには、何をしなければいけないのでしょうか。
表面的に、家族と一緒に買い物に行くようにする、財布だけ持っていくようにする、
そういうことだけしていても、ただ万引きをしたいという欲求を我慢しているだけで、
欲求は常に自分の中にある状態になってしまうんですね。
だから、自分がなぜ万引きするようになってしまったか、なぜ万引きという行動にはしってしまうのか、
犯罪とわかっていてどうしてやめられないのか、
そういうことを徹底的に自分に問いかけて、自分でもう二度と万引きをしないようにしたいという思いを強くするための根拠というものを自分の中に作っていくことだと思います。
行動を表面的に変えるのではなく、本当に万引きしないためにはどうしたらいいのかということを
徹底的に自分から自分の中に探していくっていうことが、本当に大事なんだと思っています。
万引きをやめられるかどうかは、本気で万引きを止めたい、自分を変えたいという強い危機感を持てるかどうかにかかっています。
危機感を持ったならそのチャンスを絶対に生かさなくてはなりません。
自力で出来ることには限界がありますから、赤城などの専門病院に繋がり、徹底的に、必死に取り組むことが大切です。
今までの片寄った価値観や行動や考え方を改善し、ごく普通のバランスのとれた物の見方を身に付けることで、不安や不満を抱いたときに、何かに依存して解決しようとしたり、不安や不満をなかったことにしたりという方法を選択しなくなります。
どうすることが自分や周りの人間の幸せに繋がるのか、きちんと正しい選択を
していけるようになるというのが、「回復」、「治癒」ということなのだと思います。
◆ 次に、「摂食障害」という病気について、聞いていきますね。
この摂食障害という病は、例えば、カーペンダーズのカレン・カーペンダー(拒食症)が若くして亡くなったことは有名ですし、芸能人やモデルなどもこの病にかかっていると言われることも多々あります。非常に難しい病、頑固な病だと思うのですが、赤城で学んでみて、摂食障害というものは、どういう病だというふうにとらえておられますか。
ちょっと質問が抽象的で、申し訳ないのですが…。
摂食障害というものは、拒食にしろ、過食にしろ、日常生活の中で、普通は1日3回食事をする機会があって、食事のたびごとに起こってしまう行動なんですね。
だから、いったんなってしまうと、切っても切り離せない状態になってしまいます。
本当に根深い、一生つきまとってくるような心の病だと思っています。
摂食障害は、はたから見ると、食べて吐いたり、食べ物を受けつけなかったり、
逆に、考えられないような量を食べてしまうなど、すごく不自然でおかしな行動に見えると思いますが、
本人にとっては、例えば、過去のトラウマ、両親との関係、自分の現在の葛藤、体型への拘り、
そういうものを解消したり、打ち消したり、今の自分を肯定するためになくてはならないもので、
それを生きる支えにすらしていると思います。
本人は、その行為を支えにして、必死に生きようとしているのです。
過去の傷やトラウマ、自分の抱く理想や現実と何とか折り合いをつけるための「杖」のようなものになっているがゆえに、
摂食障害を手放すのはとても困難だといえます。
食は生きるためには必要不可欠な行為で、世の中にも食料が溢れています。
それが頭で治したいと思っていても、なかなか行動に移せない原因でもあると思います。
摂食障害を克服するためには、長いスパンでみるのが良いのかもしれないと思います。(命に関わらない限りは…)。
習慣になっている食行動をいきなり変えることが、逆にストレスになり、よりひどい摂食障害を招きかねないからです。
常に摂食障害を克服しようという意思を持ち続けることが大切なので、
専門家の手助けをかりながら、自分を大切にするということはどういうことなのか、学んでいく必要があると思います。
◆ 赤城で治療してみて、摂食障害と万引きは、どんなふうに関わっていると考えるようになりましたか。
摂食障害というのは、常に心の中に「渇望」というか、「飢え」というものがあって、ものすごく飢えているんですね。
食べ物をまともに食べられない病気ですから、常に飢えていて、常になんかこう「溜め込みたい」、
そういう思いが強くあって、過食嘔吐に関しては、本当に食べ物を得るためには、
どうしても、食べ物を得るための手段として万引きがあって…
◆ 最初は食べ物を得るための手段かもしれないけれども、「涸渇」、今話してくれた「溜め込みたい」という思いと、どこかでつながるということでしょうか。
そうですね。
何かしら、こう…溜め込みたい、物じゃなくても精神的にも満足感を溜め込みたいとか、安心感を溜め込みたいとか、
そういうところですごくつながっていると思います。
◆ 今回、裁判の流れの中で、保安員さんと被害店舗の店長さんに法廷に来ていただくことになりました。
クレプトマニアの中で、被害者に直接向き合った人というのは、実際は少ないのではないかと思うのですが、法廷で、この方たちのお話を聞けたことは、藤乃さんの考えや犯罪のふり返りにとってどんな影響を与えましたか。
目の前で自分がしていた行為を被害者の方たちが話して下さったことで、私は本当に加害者であったんだと実感しました。
私のしていた行為で、実際に被害を受けた方がおられる、被害を受けて嫌な思いをしたり、苦しんだ方がおられる。
私は、物じゃなくて、人に対して害を与えていたんだということを強く実感しました。
◆ 万引きという行為について、今では、どう思うようになりましたか。
万引きは犯罪行為です。
単純に、どんな理由を持ってしてもしてはいけない行為だと、とても冷静に思っています。
犯罪をする先に幸せはありません。
私は心から家族と幸せになりたいと今思っています。
だから、私の人生に、家族の人生に万引きはもう必要のないものなのです。
◆ 赤城で治療を受けたこと、そして、今回の裁判を通じて、自分のどういうところが一番大きく変わったか、その変化を教えて下さい。
今までの私は、自分の苦しみとか、焦りとか、葛藤とか、日常生活に対する不安や不満とか、自分のことで頭の中がいっぱいでした。
だから、自分が苦しいからやめたい、自分が惨めさからやめたい、そういうことしか考えられていなかったと思います。
でも、今回、保釈をいただいて、赤城に入院することが出来て、治療を通じて、
自分を客観的に冷静に見ることができるようになりました。
自分がいかに自我の塊であったか、周りの人間のことを切り捨ててきていたのか、ようやく自覚することができました。
今回の裁判を通じて、自分は一人では生きていないことを本当に実感しました。
夫や子ども達、両親、弁護士先生、本当にいろんな人に助けられて自分は生きていました。
自我を捨てることで、周りの人たちの深い愛情と許しによって自分は生き、支えられていることを心で感じられるようになりました。
私は、周りの大切な人たちのお陰で、こうしてまともな頭に戻ることができたと思っています。
私は、自分自分、自分の欲や望み、そんな物しか考えられない人間でした。
今は、そんなものはどうでもいいのです。
自分を救ってくれた自分以外の大切な人を守り、支えられる人間でありたいと思っています。
◆ 自分自身の理想像や自己イメージというものは、どんなふうに変化しましたか。
子ども達と接しているとき、子ども達って、本当に私であればいいんですね。
私の見た目とか、性格とか、何がどうあろうと子供たちには関係なくて、ただ私であればいい。
私がそばにいれば、本当に幸せそうな顔をするし、それでよかったんだってことに気づいて、
私はこうありたいとか、こうあらねばならないとか、本当の自分はこうしたかったとか、
そういう理想っていうものをすごく持っていたけれど、
そうじゃなくて、本当に、ただただ家族のそばに普通にいられる、何もなくごく普通にそばにいてあげられる人間であるということ、
それが本当に理想だと思うようになりました。
私は、今まで犯罪をしてきたことで、常に罪悪感とか引け目を感じていて、
周りの友達とか人間関係っていうものを全部切り捨ててきたけれど、
今度は、本当にこの土地に家族で根を下ろして、いろいろな人間関係とか、土地の人とか、家族とか、
人とのつながりを大事にして生きていきたいと、それが本当の自分の理想だなというように思うようになりました。
◆ 今後は、どんな抱負をもっておられますか。
新しいKA(クレプトマニア・アノニマス)の立ち上げに関わろうと思っています。
私が、クレプトマニアというものを知ったのは、このようにどうにもならない状態に陥ってからでした。
世の中には万引きがやめられなくて悩み苦しんでいる方やそのご家族がまだまだたくさんいるのではと考えています。
赤城の入院の待ち人数が増え続けていることが、それを表していると思います。
万引きは犯罪行為です。
簡単には口に出して相談できるものではありません。
そういったとき身近に相談できる場があれば、救われる人がどれだけいるかわかりません。
刑務所にいくはめになる前に、何とか病に気づいて治療に取り組む人が増えればと思っています。
クレプトマニアは心の病であり、治療が必要なのです。
刑務所という矯正施設では、心を治癒し、行動を改善していくことは難しいのです。
再犯の防止という点でも、このような場を増やしていくことは不可欠であると思っています。
とにかく私のような人間を少しでも減らすことができたら…という思いは強いです。
◆ 今回の刑事裁判では、出所後5年が経過していないため、執行猶予は法律上つけられません。
受刑は免れないわけですが、出所後にどんな希望を持っていますか。
犯罪をしないで生きていける喜びが最大の希望です。
ごく普通の、犯罪をしない人間に戻れたことで、私は心から穏やかに幸せに生活できています。
この生活をずっと続けていけるのかと思うと、本当に幸せです。
それだけで出所の日が待ち遠しいです。
◆ 保釈前、つまり勾留中に初めて私が藤乃さんと会ったときは、
今とは全然違って、絶望に沈んでいたように思います。顔つきも全然違いました。
保釈を得て、治療を経て、法廷で公判を重ねるというプロセスを経たことで、藤乃さんの気持ちに変化はありましたか。
保釈を得て、家族のもとに戻れたときの心が震えるような喜び、
家族の涙を昨日のことのように覚えています。
入院し、裁判の度に家と病院を往復し、会える喜びと、別れる寂しさを経験してきました。
そのままの私を心から望み、愛してくれている家族のために、
必ず病から回復してやるという思いをその度に強くしてきました。
万引きをしないことになんの迷いもありません。
私は、本当に素晴らしい家族という宝物を授かりました。
その大切な人たちを苦しめ、悲しめたりする行為はもうできない、しない、
はっきりそういえる自分になれました
◆ 最後に、裁判官に伝えたいことがあったら言って下さい。
私は、今まで何回も万引きをくり返してきて、受刑まで経験して、今この場にいます。
本当だったら、保釈されなかったかもしれない、
だけど、保釈していただいたこと、そして、入院させていただいたことには本当に感謝しています。
入院できなければ、私は考え方をここまで変えることは出来なかった。
そのことをすごく実感しているので、本当に感謝しています。
自分のしてきた行為でどれたけの方にご迷惑をおかけしたかわかりません。
被害者の方、被害を受けたお店、自分の行動によって、迷惑をかけたり苦しませてしまった人達に対して、心から申し訳なく思っています。
私は今、保釈をいただき、入院することが出来て、自分の内面を深く見つめ直したことで、本当にもう万引きをしたくないと思っています。
周りの人間のことを考えると、もうしたくないというか、出来ない、そういうふうに思っています。
治療を続けながら、この思いを一生持っていけるように、これから努力していきたいと思っています。
【最後に…】
ここまで読んだ下さった皆さん、本当にありがとうございます。
藤乃さんのか話はいかがでしたか?
この内容は、藤乃さんの被告人質問のために、私と藤乃さんで準備した尋問事項と実際に行われた被告人質問をもとに
作成されたものです。
少しでも皆さんのお役に立てたなら幸いです。
藤乃さんは、一審判決の後、自分の責任を果たすために収監されていきました。
家族、特に子どもとの再び離れなければならないことは、やはりとてもつらかったようですが、
藤乃さんはこれを乗り越えていきました。
今回を本当の最後にするために…。
裁判官の判決言い渡しの後の説諭の中に、
あなたが子どもたちと一緒にいるためには、あなたが万引きをやめる以外に道はない…といった言葉がありました。
本当にそのとおりだと思います。
万引きに依存するようになった自分の過去の人生や心の奥底を逃げずにじっと見つめて、分析し、理解し、
そして、変えていくしかないのです。
それ以外には、一切、道はありません。
援助は得られます。
病院、医師、弁護士、カウンセラーetc、etc
援助は与えられるべきです。
我々、社会は、他者の苦しみに対し共感し、援助を差し伸べる程度の寛容さをもたねばなりません。
しかし、いつまでも万引きに依存していてはいけません。
そこには、被害者がいるのです。
あなたが盗んでいるものは他人の物であり、他人が汗水たらして働いて得ているものなのです。
自分を変えるのは苦しいからと逃げていては、行きつく先が「刑務所」になってしまうのは当然です。
最後は、自分を変えていくしかないのです。
藤乃さんはそれをしました。
初めてクレプトマニアという病気の存在を知り、保釈許可という自分に与えられたチャンスを最大限生かして、
努力し、自分を変えていきました。
だから、この判決を得られたのです。
藤乃さんに保釈という治療のチャンスを与えて下さった裁判所、
そして、藤乃さんのこれまでの人生や思い、治療への姿勢を理解して、評価し、
この判決を出して下さった裁判官には、藤乃さんともども感謝いたします。
最後に、被告人質問では、話が抽象的になることを避けるために省いてしまったのですが、
竹村先生から指摘である「万引きを超える快感を見つけなければならない」という言葉の、
「万引きを超える快感」って、何だったんですか?と質問すると、
藤乃さんの答えは、「愛です!」とのことでした(笑)(きっぱり断言してましたよ。)
結局、自分はこんなにも周囲の人に愛されていた…と、藤乃さんは言っていました。
刑務所でいくら「苦痛」を与えても、人は変わらない。(全く役に立たないとはいいませんが…)。
苦痛ではなく、愛を感じてこそ、人は変わるのかもしれませんね。
藤乃さんの経験が皆さんのお役に立つことを願って、藤乃さんと私からこのページを捧げます。