~私と藤乃さんのクレプトマニア刑事裁判~
このページでは、クレプトマニア&摂食障害のために万引きがやめられず、窃盗罪で刑事裁判を受けた藤乃さん(38歳・女性・仮名)のケースをご紹介します。
藤乃さんは、起訴後、保釈を得て、クレプトマニアの治療で有名な群馬県の赤城高原ホスピタルへ入院し、
数回の公判と平行しながら、治療をすすめて、見事な回復を果たしました。
その回復ぶりは目覚ましく、藤乃さんは、私の自慢の被告人であり、素晴らしい友人でもあります。
藤乃さんの言葉には、本当に教えられることがたくさんあります。
このページでは、藤乃さんの事件の経緯と刑事裁判の流れをご紹介したいと思います。
クレプトマニアで悩む当事者の方やご家族の参考になれば幸いです。
なお、治療を経た後に得た藤乃さんの「学び」や「気づき」の内容については、PART2のページをご覧下さい。
藤乃さんは、子どものころから、明るく気さくで、人の気持ちを慮る「いい子」でした。
でも、反面、人の気持ちを考えすぎるところがあり、特に両親の気持ちを気にしすぎるところがありました。
そのため、子どものころの藤乃さんは、いつも家庭の中の空気を読んで、両親の気持ちをくんで物事を決めるようになり、次第に自分の本当の気持ちがわからなくなっていきました。
そんな藤乃さんが摂食障害を発症したのは、実家を離れて、一人暮らしを始めた大学2年生のころでした。
大学に入学してから、周囲の同級生に比べて、容姿も才能も熱意も、全てのことで自分が劣っているような気がしていた藤乃さんは、せめてスタイルだけでも痩せてきれいになろうと思い、ダイエットを始めました。
しかし、もともと食べることが大好きだった藤乃さんは、つい食べ過ぎてしまうことも多く、自己嫌悪を感じることがありました。
さらに、ダイエットでせっかちに結果を求める気持ちが働いて、食べ吐きすることを覚えてしまい、過食嘔吐(摂食障害)に陥ったのです。
治療を経た今ふり返れば、この時期に摂食障害を発症したのは、
人生の中で初めて両親から離れ、自分の意思で物事を決められる状況になったものの、
いざ「自分は何をしたい?」、「本当は何が好きなの?」と聞かれても、
今までの生き方から、「自分の意思」というものがわからなくなっていたことが影響していたのだろうと思われます。
しかし、当時の藤乃さんにはそんな難しいことはわかりませんでした。
摂食障害を発症した1年後には、万引きが始まっていました。
何度もやめたいと思いましたが、やめられませんでした。
当時、「クレプトマニア」という病気の存在すら、全く知らなかった藤乃さんは、
自分は過食嘔吐のための食料が欲しいから万引きしてしまうのだと思っていました。
大学生だった藤乃さんは、「この事態を何とかしなくちゃ!」と焦りを感じ、
摂食障害を治療しようと、自分で病院を探して、
当時は彼氏だったご主人と一緒に心療内科を訪れました。
でも、決意して診察を受けにいった医師からは、
「人間っていうものは、食べ物を食べて消化吸収するのが自然なことです。
あなたのしていること(過食嘔吐)は、人間のすることじゃない!」と一刀両断的な物言いをされてしまいます。
藤乃さんは、ショックを受けて、「摂食障害のことは人に話してはいけないんだ…」と思うようになりました。
お医者さんに行くことにも消極的になりました。
診察についていったご主人も、「この話題はふれてはいけない話題なんだ…」と感じるようになりました。
その後も、事態を知って心配したお母さんと一緒に、別の病院に通おうとしたこともありましたが、摂食障害には親子関係の問題があるといわれても困惑してしまった上、
手ごたえがなく感じられたこともあり、うまく治療に結びつきませんでした。
その後、藤乃さんは、ご主人と結婚して、2人の子どものお母さんになりました。
もともと子どもが大好きだった藤乃さんにとって、二人の子どもとご主人との生活は、まさに「宝物」でした。
しかし、どうしても「万引き」をやめることができません。
刑事処分はだんだんと厳しくなり、罰金から正式裁判になり、執行猶予判決を受けました。
それでも、万引きがやめられず、再犯してしまった藤乃さんは、とうとう刑務所に行くことになりました。
初めて実刑判決を受けることになったときの万引きでは、藤乃さんは、腕に子どもを抱っこしていました。
そのままスーパーの事務所に連れていかれ、子どもを抱いたまま、手錠をかけられました。
幼い子どもは、不穏な空気を察して激しく泣きます。
子どもは婦人警官に連れていかれ、そのまま出所後まで抱っこしてあげることはできなくなりました。
藤乃さんは、母親として言葉にできない思いでしたが、このときはどこか心の奥底で、希望のようなものも感じていました。
「こうなるのは当たり前だ…」、
「でも、刑務所に行けば、今度こそ万引きをやめられるに違いない…」
藤乃さんはそう思ったのです。
刑務所での生活は想像以上に辛いものでしたが、藤乃さんは耐え抜いて、頑張りました。
1日も早く夫と子ども達のところへ帰りたい…。
勉強して資格を取得し、パソコンの訓練生に選ばれるくらい努力しました。
模範生でした。
仮釈放がもらえると思っていました。
しかし、根深い摂食障害が治らず、ある日、同房の人が残した朝食の皿を「捨てるね」と言いながら受け取った藤乃さんは、思わず、皿の上の食べ物を口の中に入れてしまいます。
そして、不正喫食の懲罰を受けて、満期出所になりました。
出所後…
刑務所を出所した藤乃さんは、仕事を見つけ、保育所に子どもを預けて働き始めます。
一見、社会復帰の軌道に乗っているように見えた藤乃さんでしたが、頭の中は葛藤でいっぱいでした。
一番の葛藤は、受刑中一緒にいられなかった家族の時間を埋め合わせたいのに、生活に追われて、ゆっくり家族の時間を取れないことでした。
ちゃんとやりくりできないのは、自分がいけないからなんだろうな…、
私はダメな妻、ダメな母親だ…。
そんな思いがいつも頭の中に渦巻いていました。
家族を心配させたくなくて、「摂食障害はもう大丈夫」と言っていた藤乃さんでしたが、
本当は、夫と子どもが寝静まった夜中に、週1、2回、過食嘔吐していました。
そんなある日…、
体調が悪かった子どもを保育所に迎えにいくため、仕事を早退した藤乃さんは、
普段は仕事をしている昼間の時間に、自転車を走らせていました。
いつもは働いている時間に解放されたからでしょうか…、
何だかうきうきした気持ちになり、不思議な高揚感を感じました。
そして、通り道にあったセブンイレブンに入った藤乃さんは、普段の藤乃さんなら「高いから…」とためらった末に買わないであろう270円のデザートを2個と菓子パン3~4個を買いました。
そのとき、藤乃さんは、「いつもならしない行為」をしたことで、「スイッチが入って」しまったのです。
セブンイレブンを出た藤乃さんの目に、大型スーパーの看板が目に入りました。
藤乃さんは、万引きの再犯防止のために、普段は一人で買い物にいかないようにしていました。
なのに、その日は吸い寄せられるように、スーパーに立ち寄ってしまったのです。
「やっぱり大型スーパーは、広くて、きれいだなぁ…」
入り口に立った藤乃さんは、不思議な高揚感とでもいうのでしょうか。
ふわっと浮かれていくような、うれしい気持ちになりました。
そして、あったらいいな…、あったら家族が喜ぶだろうな…と感じるものを、カートのかごの中にどんどん入れていったのです。
それらの商品は、家族で買い物に行った時は、「欲しいな…」と思っても、
「今すぐ必要なものではないし…、節約しないといけないし…」と迷った末に多分買わないであろうものばかりでした。
しかし、このときの藤乃さんは、「一人で行った今、どうしてもこの商品を確保したい。
この商品を確保できるのは、今しかないんじゃないか。
今すぐ必要なわけではないけれど、確保できるのは今しかないのだから、どうしても手に入れたい、確保しておきたい。」という気持ちになったのです。【溜め込みマインド】
でも、他方で、「これ以上、財布からお金が消えてしまうのは怖い。
さっきコンビニで、270円もするデザートを2つも買ってしまった…。
これ以上お金が財布から消えてしまったら、どうなるんだろう。
お金も失いたくない、失うのは怖い」という気持ちになったのです。【涸渇恐怖】
そのどうしようもない葛藤の解決策として、藤乃さんは、かごの商品を一気にかばんの中に入れました。
無我夢中でした。
あんなに辛かった刑務所、家族のためにもう二度と行くまいと思っていた刑務所のことは、
頭に浮かびませんでした。
そして、カートを戻し、ドラッグストアの外に出た時、保安員さんから声をかけられたのです。
藤乃さんは、凍りついたように、固まってしまいました。
その後、藤乃さんは事務所に連れていかれて、逮捕されました。
しかし、藤乃さんには、そこから先の記憶は、途切れ途切れにしかありません。
かばんから出てきた商品は、15点以上ありましたが、藤乃さんが盗んだことを思い出せた商品は、5点だけでした。
(のちに、竹村医師の意見書で、藤乃さんには軽度の解離性障害の症状が出ていた可能性があることが指摘されました)。
刑務所に入ったのに、それでもまだ万引きしてしまうなんて…。
このときの藤乃さんに、前回の逮捕時のような「かすかな希望」はありませんでした。
ただただ「絶望」と「恐怖」の思いしかなかったのです。
藤乃さんが再犯してしまったことを聞いた藤乃さんのお母さんは、絶対におかしいと思いました。
そして、インターネットを検索し、クレプトマニアの治療と結びついた刑事弁護をHPに掲載していた弁護士の私を探し出してくれたのです。
藤乃さんは、受刑中、お母さんやご主人との手紙の中でも、面会のときにも、
いつも残してきた家族のことを気遣っていました。
「家族のために、もう二度と万引きはしない!」
「もう二度と刑務所になんかいかない!」と何度も誓い、
お母さんには、「迷惑をかけてすまない。私がいない間、どうか3人のことをよろしく頼む」と何度も何度も口にしていました。
お母さんもご主人も、藤乃さんのこの言葉は、本心からの言葉だと思いました。
あれほど何度も何度も誓っていた藤乃さんが、また万引きをするなんて…、
これはもう病気以外には考えられない…、
お母さんはそう思ったのです。
そして、私を探し出して下さったのでした。
接見室で初めて会ったときの藤乃さんは、絶望に沈んでいたからでしょうか、
表情が乏しく、固い雰囲気でした。
(はちきれんばかりに大口を開けて笑う今の藤乃さんとは、全く別人のようです。
藤乃さんは、本来はとても気さくで明るい人なのです。)
藤乃さんは、弁護士の私が持参した赤城高原ホスピタルのクレプトマニアチェックリストに自分が当てはまっていることに驚きました。
しかし、自分がクレプトマニアという病気のせいで万引きしてしまうということは、まだよく飲みこめませんでした。
さらに、藤乃さんはこのとき、出所後まだ1年半ほどしか経過していませんでした。
出所後5年以上が経過しないと、法律上執行猶予はつけられません。
つまり、藤乃さんのケースでは、仮に保釈をとって赤城高原ホスピタルへ入院して治療したとしても、執行猶予はつかず、実刑は免れなかったのです。
治療と裁判が同時進行することは、藤乃さんにとっては二重の大きなストレスです。
藤乃さんは、当初、どんなに頑張って治療しても実刑は免れないのなら、
まずは裁判を1日も早く終わらせて、治療は出所後にしたいと希望しました。
私も、そうした方がいいかもしれないと、その時は本気で思いました。
しかし、それに待ったをかけたのが、赤城高原ホスピタルの院長竹村道夫先生でした。
まだ勾留されている藤乃さんに代わり、弁護士の接見メモとクレプトマニアチェックリストを持って、群馬県の赤城高原ホスピタルまで駆けつけたお母さんに対して、
竹村院長はこうおっしゃったのです。
「出所後では遅い。今治療しないとダメだ。
出所後、治療につながる人は全体の10%程度しかいない。
結局、治療につながらないまま、また再犯してしまうことになる。
今、刑事裁判になっている間に治療しないとダメなんだ。」
竹村医師のこの言葉を聞き、藤乃さんは保釈に望みを託し、治療することを決意しました。
私は、実刑事案での保釈請求にトライすることになったのです。
当初、藤乃さんの事案は、簡易裁判所にかかっていました。
(なんで簡裁に起訴するんだ、地裁に起訴してくれと本気で思いましたが…)。
ですから、保釈請求も簡易裁判所ですることになります。
分厚い資料を添付した保釈請求書を用意し、面談では、この保釈の趣旨を裁判官に縷々説明するものの、保釈請求は却下されます。
あきらめかける藤乃さん…。
しかし、弁護人と家族はねばりました。
さらに資料を追加して、準抗告で地裁へ。
その準抗告が認められて、藤乃さんは保釈されたのです。
この保釈だけで、藤乃さんは全く別人のように明るくなりました。
冗談抜きで、保釈だけで3割以上回復したような気がしました。
それくらい、保釈の効果は大きかったのです。
(私は、この経験で、弁護人というものは、可能な限り保釈をとらねばならないのだと心底思いました)。
藤乃さんが保釈されたとき、赤城高原ホスピタルは、入院予約待ちが30人の状態でした。
順番はまだか、まだかと待ちわびて、お母さんは毎週のように問い合わせの電話をかけていました。
藤乃さんが入院できたのは、保釈の約1カ月後でした。
しかし、その間にお母さんと多くの時間を過ごした藤乃さんは、母子の時間を取り戻せたようです。
赤城で入院した後、当初は家族と別れる寂しさや病気を飲みこめない思いから、
最初は泣いていた藤乃さんでしたが、徐々に環境にも慣れて、真剣にミーティングに取り組み始めます。
そして、紆余曲折を経ながら、学びを深め、成育歴や自己の行為を振り返り、
クレプトマニアとは何か、回復のためには何が必要なのか、摂食障害とはどんな病気か…等について、
藤乃さんなりに答えを見出していきました。
藤乃さんが、赤城高原ホスピタルの治療とミーティングの中でどんなことを学び、どんなことを悟ったか、
それはPART2でご紹介することにして、ここではまず藤乃さんの刑事裁判の流れをご紹介します。
藤乃さんの裁判は、
第1回公判で、簡裁から地裁へ移送決定がなされ、地裁で審理されることになりました。
第3回公判では、保安員さんと被害店舗の店長さんの証人尋問
供述調書に不同意を出したのは保安員さんだけだったのですが、一部、藤乃さんの記憶のないところについて(軽度の解離性障害が出ていた)、信用性を争うという意見を出したところ、検察官が店長さんの尋問も請求したのです。
弁護人としてはやむを得ないと思いましたし、病はあっても、被害者の声に向き合っていくことも必要だと考えました。
そして、藤乃さんなら、それが出来ると思いました。
クレプトマニアで被害者に直接法廷で向き合った人は非常に少ないと思います。
多くの人は謝罪して示談したいと思いますから…。
さらに、自分の犯罪行為を目の前で突き付けられることに、精神的に耐えられない人も多いのではないかと思います。
しかし、藤乃さんは真剣に自分の行為に向き合ってそれを乗り越えました。
私は、藤乃さんのことを本当に貴重な経験を乗り越えた人だと思っています。
第4回公判では、被告人質問
ここで、万引き時の藤乃さんの複雑な心理が語られました。
これは、捜査側が作った供述調書ではけっしてわからないことです。
クレプトマニアの心理は微妙で、周囲の人間には容易に理解しがたいため、
結局「お金を使うのがもったいなかったから」と書かれてしまうのです。
被疑者であるクレプトマニア患者の方も、自分の心理状態をうまく言葉に表現できないため、なにか違うと思いながらも、同意して、サインしてしまうのが普通です。
第5回公判では、ご主人とお母さんの(情状)証人尋問
家族の深い思いとこれまでの切ない経緯が語られました。
第6回公判: それまでの治療の成果をふまえた被告人質問と、論告・弁論
藤乃さんがこれまで治療の中で到達した「クレプトマニアとは何か」「摂食障害とは何か」
「どう変わらねばならないのか」という思いが語られました。
その内容については、PART2をご参照下さい。
検察官の求刑は、懲役1年2月(14ヶ月)でした。
第7回公判: 判決
判決は、懲役7月でした。つまり、求刑の半分になったのです。
これは、藤乃さん、家族、弁護人の努力のたまものであり、
赤城高原ホスピタルの方々、とりわけ竹村院長のおかげです。
本当に感謝しています。
心神耗弱の主張は排斥されましたが、藤乃さんが治療に本気で取り組んで、自分が窃盗に陥った原因を追究し、
その病の根深さをきちんと認識しながら、治療に取り組み、現実的に必要な対処をし、
家族もそれを真剣に支援したことが評価されたのです。
また、家族の事情も含め、諸事情を考慮した上での裁判官の温情判決の面もある判決内容でした。
PART1では、事件の経緯と刑事裁判の流れを語らせていただきました。
クレプトマニアとはどういうものなのか、実際の事件の雰囲気が少しでも伝われば幸いです。
藤乃さんが赤城高原ホスピタルの治療で学んだ思いや気づきは、PART2に掲載されています。
ぜひ、PART2の方も読んでみて下さいね。