クレプトマニアで21年間の受刑生活
~ 公的支援で立ち直れ!PART1~
チェリーブロッサムさんの春の夜の夢の物語 パート1
今回は、クレプトマニア(病的窃盗症)のため、万引きの再犯から抜けられず、受刑が始まってから、なんと約21年間!もの期間が経過し、その間に7回受刑をして、更生保護施設で仮釈放を得て出所してきたけれど、また再犯してしまったケースで、裁判を通じて、自分を見つめ直し、公的支援による立ち直りを目指したケースをご紹介します。
今、愛知県弁護士会や兵庫県弁護士会で制度化され、今後、全国で広まりつつある「よりそい弁護士制度」の有効性についても、考えさせられる事件と思います。
題して、「チェリーブロッサムさんの春の夜の夢の物語」です。
なぜ、桜なの?とチェリーブロッサムさんに聞くと、一斉に桜が咲いて、花びらが舞い散る、「春の夜の夢」のイメージがあるからなのだそうです。
確かに、人生は、「春の夜の夢」なのかもしれませんね…。
万引き窃盗への依存であるクレプトマニア(病的窃盗症)による再犯の連鎖は、本当におそろしいものです。
10年間のうちに、受刑が4回目以上となると、罪名は、通常の窃盗罪から常習累犯窃盗に変わり、法定刑の最下限は懲役3年になってしまいます。
実際は、酌量減軽されることも多いのですが、受刑期間が長期になっていくのは避けられません。
さらに、おそろしいのは、クレプトマニア(病的窃盗症)の場合、刑務所で受刑したからといって、万引きへの依存が治るわけではなく、むしろ、出所後、社会に出たときの強いストレスで、再犯が誘発されてしまうことです。
その結果、覚せい剤依存症の場合と同じように、長期間にわたって、社会と刑務所の往復を繰り返すことになりかねません。
今回のチェリーブロッサムさんは、35歳で受刑し始めてから、56歳の本件事件当時まで、なんと、約21年間!にわたって、万引き再犯と受刑を繰り返してきました。
受刑回数は、7回!
今回が8回目の受刑になる状態でした。
再犯と受刑が繰り返された21年間のうち、社会に出て過ごせた期間は、3年半~4年くらいでした。
裁判の中には在宅事件だったものもあったので、上記の期間、社会に出ていられましたが、
もし勾留されて、身柄事件になっていたら、外にいた期間はもっと短くなっていたことでしょう。
それでも、通算17~18年もの間、窃盗罪だけで受刑している計算になり、これはもはや殺人罪以上の重罰になってしまっているといえます。
正常な人なら、刑務所は、1回行けば、2度と行きたくないと思うような場所です。
それを、万引きで21年間、実質的に計算しても、17~18年間も受刑し続けているのは、明らかに異常です。
病気以外の何物でもないでしょう。
殺人罪以上のような受刑期間になっているのに、それに対する支援があまりにもなさすぎます。
こんな事例を見過ごして放置するのは、もはや「人権侵害」ではないのか?
そんな思いから、チェリーブロッサムさんの事件を受任しました。
しかし、私財をつかっての治療はもはやできませんでした。
チェリーブロッサムさんは、もともとは、とても裕福な家の一人娘だったのですが、5回目の受刑の時、お父さんが自殺されてしまい、その後、お母さんは生活保護を受けて何とか生活している状態でした。
家族が崩壊し、経済力もなくなり、チェリーブロッサムさん自身は、涙を流して希望するほど、治療を受けたいと思っているし、クレプトマニア治療で有名な赤城高原ホスピタルへ入院したいのだけれど、治療費はどこからも出ませんでした。
保釈保証金など、もちろんありませんから、保釈請求もできませんでした。
そんな状況の中、勾留されながら、精神鑑定請求をしましたが、採用してもらえません。
そこで、次回の出所時には、必ず立ち直ることを目指して、「どうすれば、公的支援だけで更生することができるのか」、その道筋を模索したのが本件です。
その結果、チェリーブロッサムさんへの判決は、前刑と同じく「懲役3年2月、未決勾留日数中120日をその刑に算入する」、というものになりました。
通常は、前刑より重くなりますから、これでも奮闘したといえるでしょう。
この事例では、被害店舗であるコンビニのオーナーさんが、弁護人の話を真剣に聞いて下さって、被害店舗としていったいどうすることが正しいのかと迷いながら、検討を重ねた結果、示談をして下さいました。
ですから、盗品の商品代金だけは被害弁償ができていましたが、だからといって、被害者の被った損害や苦悩を無視することはできません。
裁判所は、被害者、加害者双方の事情を考慮せねばならない立場から、上記のような判決内容となったと思われます。
ただ、刑事司法をはなれ、刑事政策的な観点から考えた場合、21年間もかけて、繰り返し受刑させても治せないのだから、「刑務所へ入れるという方法」が、チェリーブロッサムさんのような人に対して有効に機能していないのは明らかです。
刑務所に1人1年間入れておくだけで、約300万円前後の税金がかかります。(数年前に聞いていた数字なので、もしかしたら、今はもっとかかっているかもしれません)。
実は、刑務所で受刑させるよりも、社会の中で、生活保護を受けさせる方が安かったりするのです。
特に、チェリーブロッサムさんのように、窃盗以外には何も反社会性のない人を、ここまで長期受刑させてしまうことは、問題性が大きいと思います。
考えてみれば、チェリーブロッサムさんを拘置所や刑務所に閉じ込めておくために、既に、どう少なく見積もっても、5000万円以上の費用が投入されてきたことになるわけです。
しかし、いっこう治らない…。
同じことを繰り返しているだけ…。
被害者は減らせない…。
本人も家族も苦しんでいるまま…。
何も改善していない。
それくらいだったら、機能しない方法は変えて、もっと早期の段階から、社会の中で、医療や心理カウンセリングなどにつなげることに税金を投入してみてはどうでしょうか…。
とにかく、何であれ、もっと違う方法を模索すべきだと思います。
延々と機能しないことが判明している方法を繰り返し続けながら、もっと違う結果が出るはずだ(チェリーブロッサムさんは、本来自力で更生できるはずだ)と言い続けるのは、ナンセンスであり、異常です。
そこで、「今、存在する公的支援」だけで、更生計画を立てたわけです。(詳細はpart2)
この事例は、各地の弁護士会で導入が検討されている「よりそい弁護制度」を考える上でもよい事例かもしれません。
チェリーブロッサムさんのケースが、少しでも皆さんの参考になることを願っています。
◆ チェリーブロッサムさんの成育歴について
チェリーブロッサムさんは、事件当時、56歳の女性です。
チェリーブロッサムさんは、建築業を営む家の一人娘として育ちました。
実家の商売は繁盛していて、とても裕福な家庭でした。
お父さんは、寡黙で、仕事以外は何もしない職人気質の人だったため、勝気で男勝りなお母さんが、家計だけでなく、会社の資金のやりくりや、住み込み職人の世話も全て行っていました。
チェリーブロッサムさんは、ごく普通の、おとなしくて、手のかからない、「良い子」でした。
他方で、お母さんは、気の強くて、やり手タイプの性格でしたから、おっとりしたチェリーブロッサムさんに対して、着るもの、食べるものなど全て指示して、支配的な面があったようです。
お母さんは、会社の仕事、住み込みの職人さん達のお世話で忙しかったため、基本的な家事は全てこなしましたが、それ以外の場面で、おっとりしたチェリーブロッサムさんにゆっくり向き合う余裕はありませんでした。
お母さんの立場からみれば、物がない戦争時代に幼少期を過ごして、靴下さえなく、子守りをさせられて、学校へも行けない日々を過ごした経験があったので、一人娘には、あんな悔しい思いをさせたくない、と思っていたのだと思われます。
忙しさに加え、自分は物のない時代に大きくなったので、お金を与えることや、物を与えることで、愛情を表現したのです。
それは、お母さんからみれば、一人娘への最大の愛情表現でした。
しかし、お母さんのこのような子育ては、後に、チェリーブロッサムさんが愛情に飢えたり、自己の子ども達への愛情を表現しようとする際に、同じように、物によって愛を得よう、物によって愛を与えようとする、無意識的な価値観のベースになったと思われます。
これが、万引きのベースとなる無意識の価値観です。
チェリーブロッサムさんは、小学校、中学校、高校と、ごく普通の成績で、平穏無事に進学しました。
勉強が特にできたわけでもなければ、クラブ活動などで頑張りぬいた経験もありません。
ただ、非行なども一切なく、とにかく「普通の良い子」だったのです。
高校卒業後は、少しでもお父さんの手伝いになればという思いから、インテリアデザインの専門学校へ進学したのですが、少し難しくて、挫折してしまい、19歳から、洋服店でアルバイトをするようになりました。
そこで知り合った会社員の夫と、22歳のときに結婚して、長女を出産しました。
◆ 摂食障害の発症や下剤の濫用
長女を出産した後、20キロも太ってしまったチェリーブロッサムさんは、友人の結婚式に呼ばれたものの、ドレスが入らなかったことから、ダイエットを開始しました。
最初は下剤を使いましたが、体重はなかなか落ちませんでした。
そこで、雑誌で、モデルがやっているという記事を読んで、口に指を突っ込んで吐くようになりました。
この方法では、めきめき痩せることができました。
痩せた後も、過食嘔吐は続いたのですが、この時点では、万引きにはつながりませんでした。
しかし、最初のご主人は、毎晩飲み歩くタイプの男性だったため、家計が圧迫されて、チェリーブロッサムさんは、生活費や長女の世話などの面で、実家を頼るようになります。
お母さんも一人娘が帰ってきたことを喜んで、26歳で離婚をしました。
◆ 2回目の結婚とクレプトマニアの発症
実家の仕事を手伝いながら、子育てをしていたチェリーブロッサムさんは、運動のためにテニスサークルに通い始めました。
そこでできたお友達に招待されて、誕生会に出席したところ、2人目の夫となる若いお医者さんと知り合ったのです。
交際後、まもなく子どもができて、チェリーブロッサムさんは、28歳でお医者さんと2回目の結婚をします。
そして、次女を産みました。
2回目の夫は、勤務医でしたが、チェリーブロッサムさんと同じく、一人っ子でした。
いずれは、自分の実家へ帰って開業することを目指していました。
他方で、チェリーブロッサムさんも一人娘で、自分の実家との縁が強く、実家から離れられないタイプです。
この2人の結婚は、本当は、危険な要素をはらんでいました。
2人は、どちらも似た者同士で、おとなしい、受け身の性格でした。
一人っ子の場合、常に周囲の人が本人の顔色を見て、どうしたいのか先読みして、お膳立てをしてくれるようなところがあります。
チェリーブロッサムさんも、2度目のご主人も、結婚までは、周囲がはやし立て、周囲に背中を押される形で、話がとんとん拍子に進んでいきましたが、結婚して2人きりになった途端、2人は、どちらがどうリードするでもなく、お互いに受け身で、物事が前に進まなくなったのです。
夫婦の溝は大きくなっていきました。
また、ご主人は、幼い女の子への接し方がわからなかったところもあったのか、実子の次女は可愛がってくれましたが、連れ子の長女は可愛がってくれませんでした。
実家へ戻って開業するつもりで、資金を貯めていて、十分な生活費をチェリーブロッサムさんに渡してくれませんでした。
チェリーブロッサムさんは、夫の実家へついていくことに、不安を感じるようになりました。
双方ともに一人っ子で、実家とつながりが深かった2人は、亀裂を解消出来ないまま、どうしようもない状態に陥ってしまいました。
そして、最初の万引き事件が起こります。
27年前のある日、チェリーブロッサムさんは、長女の父親である前夫と、長女の養育費の話をしに行きました。
しかし、前夫から、「医者と再婚して裕福に暮らしているのだから、養育費なんか支払う必要はないだろう」と言われて、怒りを感じたチェリーブロッサムさんは、帰り道で、靴を万引きしてしまいました。
長女が、養父から愛されず、実父からもかえりみられず、不憫だと感じていました。
この最初の万引きは、八つ当たり的な行為で、この時点では、まだクレプトマニアを発症していたわけではなかったと思われます。
しかし、その後、長女の出産後から続いていた「摂食障害」を背景に、窃盗行動はエスカレートしていきました。
当時、チェリーブロッサムさんは、裕福な実家の支援があったため、金銭的に困るような状況にはありませんでした。
それなのに、「子どもが不憫だ」、「家族にこれくらいのことはしてやりたい」といった思いが出ると、お金はあるにもかかわらず、食料品やお菓子、子どものおもちゃや本などを万引きしてしまうのです。
クレプトマニアの発症でした。
チェリーブロッサムさんは、その後、立て続けに万引き事件を起こしました。
24年前に、執行猶予判決を受け、しばらくして、再度の執行猶予判決を受けて、保護観察がついたにもかかわらず、その1カ月後には、また、子どもの本を万引きしました。
この件は、警察官が不憫に思ったのか、店側と示談を進めてくれたため、不起訴処分に終わりました。
しかし、21年前の4月、チェリーブロッサムさんは、長女の中学校入学と次女の小学校入学のお祝いに、チェリーブロッサムさん、長女、次女の3人で、東京ディズニーランドへ行こうとしていた矢先、
行きの飛行機の搭乗前の、関西空港の土産物屋で、子ども用のキーホルダーや腕時計、お菓子などを万引きして、関空警察に逮捕されました。
子ども用の商品を目にした途端、子ども達に与えたい気持ちが抑えられなくなって、万引きしてしまったのです。
子連れで、これから、ディズニーランドへ行こうとしているというのに…です。
こんな場面で、盗む必要があるでしょうか?
お金も十分あるのです。
保護観察もついていました。
チェリーブロッサムさんは、この時点から既にクレプトマニアを発症していたと思われます。
このときから、21年間にわたる、チェリーブロッサムさんの受刑生活が始まりました。
この時、既に別居していた夫から、離婚調停が起こされていて、チェリーブロッサムさんは、離婚は承諾していましたが、次女の親権を争っていました。
そのストレスが万引きの引き金になった面もあったかもしれません。
受刑の開始で、次女の親権は、夫のものとなり、次女とは離れ離れになってしまいました。
◆ クレプトマニアによる再犯と受刑の連鎖
- 万引き衝動の制御ができない状況に陥る -
ディズニーランドへ行く前の関西空港での万引きは、極めて病的ですが、その後もチェリーブロッサムさんの病的な万引きは続きました。
1回目の刑務所は、チェリーブロッサムさんには受け入れられず、作業拒否の状態になって、満期出所になってしまいました。
そんな苦しみを経験して、ようやく実家へ戻ったチェリーブロッサムさんでしたが、そのわずか4か月後に、再び万引きして逮捕されました。
19年前のある日、長女と一緒に買い物に行った際、CDを万引きしたのです。
起訴されたのは、盗む場面を現認されたCDのみでしたが、実際は、娘の洋服など、多数の商品を盗んでいました。
横で商品を見ている長女の様子を見て、「興味がありそうだ」、「欲しいのだろう」と感じると、盗んでしまうのです。
その時、満期出所となった受刑の苦しさは、チェリーブロッサムさんの頭には全く浮かびませんでした。
頭に浮かぶものは、ただただ、長女の喜ぶ顔だけでした。
まさに「病的」といえます。
2回目の受刑後は、その9か月後に、スーパーで、寿司の盛り合わせを盗み、さらに、その在宅での裁判中、コンビニで雑誌9冊を盗みました。
他の前科のときも、すべて同じですが、チェリーブロッサムさんの場合、現認された商品についてのみ起訴されるので、盗品数は一見少なく見えます。
しかし、実際は、カバンがいっぱいになるまで盗んでいます。
カバンがいっぱいにならないと満足できず、途中で窃盗行動を止めることはできません。
まさに、クレプトマニアだと思います。
このときから、罪名は、窃盗罪から、常習累犯窃盗罪へと変わりました。
3回目の受刑後、14年前には、仮釈放中に、長女のためのTシャツ2点を万引きして逮捕され、仮釈放が取り消されてしまいました。
そして、4回目の受刑後、出所後3か月足らずで、ユニクロで衣服34点を盗み、その20分後、ドラッグストアで商品67点を万引きしたとして、逮捕されました。
この件は、チェリーブロッサムさんの窃盗が病的なものであることを強く感じさせます。
記録を見ていると、この時だけ、盗品数が多いように見えるのですが、他の時は、捜査側の都合や、被害届が出るか出ないかといった事情で、起訴されていないだけなのです。
このときは、全ての盗品について起訴されたというだけの話でした。
必要性もなく、自分では到底使いきれない量を、ただただ「カバンをいっぱいにしたい」という思いに駆られて盗んでしまい、途中で止められない様子は、あまりにも「病的」です。
そして、この事件での5回目の受刑中、お父さんが自殺してしまいました。
実家へ戻ったチェリーブロッサムさんは、窃盗癖と摂食障害を治療したいと思って、大阪の医学部附属病院を受診しました。
チェリーブロッサムさんとしては、摂食障害よりも、違法行為になってしまう窃盗癖を治療したいと思っていました。
医師には、万引きや受刑の話も率直に話したのですが、理解してもらえず、冷たい言葉をあびせられ、その後の受診を断念しました。
そして、出所の5か月後、デパートで、定期入れを盗んだとして逮捕されてしまいます。
これも、現認された盗品が定期入れだっただけで、実際は、デパートの最上階から下の階へと降りながら、カバンがいっぱいになるまで万引きをしていました。
6回目の受刑後は、出所6か月後に、セーターやみかんを盗んだとして逮捕されました。
このときの判決が、常習累犯窃盗罪で、懲役3年2カ月だったのです。
◆ 本件窃盗事件について
そして、7回目の受刑後、京都の女性用更生保護施設で、1カ月の仮釈放をもらって、出所した3カ月後に起こった事件が、本件万引き事件です。
チェリーブロッサムさんが本当に帰りたかったのは、自分が生まれ育ち、今も、母や娘が住んでいる大阪でした。
しかし、大阪には、女性用更生保護施設はありませんでした。
男性用はあるのですが、女性用は、近畿では、京都と和歌山にしかないのです。
女性は、家族が身元引受をしてくれる場合が多いのだと思われますが、それがない場合は、男性よりも過酷な条件におかれることになります。
更生保護施設への入所は初めてだったチェリーブロッサムさんは、「自分の更生を支援してもらえる施設」という理解をしていました。
そして、「自己の万引きは病気だと思うから、医療機関を受診させてほしい」と、刑務所での面接時から強く希望していました。
しかし、更生保護施設は、働いて、自立することを目的とする施設であり、医療的な支援は何もありませんでした。
しかも、更生保護施設での生活は、まるで、刑務所の延長のような生活でした。
まず、消灯時間が午後10時で、(刑務所は午後9時なので、1時間長い)、消灯後は、電気が全て落ちてしまうため、書類を作成したくてもできませんでした。
テレビを見たり、パソコン教室の復習をすることもできませんでした。
更生保護施設は、就労を前提とする施設で、家賃と光熱水費を払う必要はなく、朝晩の食事はついてきますが、現金は、昼食代として1日あたり330円が支給されるだけです。
チェリーブロッサムさんは、仮釈放の日の翌日、部屋の掃除をしていたときに、右手首を骨折してしまい、すぐに就労することが出来ない状態になりました。
出所時の所持金は、作業報奨金などで得た8万円程度でしたが、遠方の刑務所から京都までの交通費がかかって、現金の手持ちは、6万円程度まで減っていました。
右手首骨折で働けなくなったチェリーブロッサムさんは、職業訓練受講給付金が月10万円、3カ月の受講で合計30万円もらえるパソコン教室の受講を選択して、1回目の支援金10万円だけはもらいました。
このお金は、大阪でのアパートを契約するための京都から大阪までの交通費や、契約初期費用でなくなってしまいました。
パソコン教室は、月曜日から金曜日まで、休まず通っていました。
しかし、そもそも、56歳で、21年間もの間、刑務所を出たり入ったりしていたチェリーブロッサムさんに、パソコンが使えると思いますか?
仮に、社会の中で生活していたとしても、56歳の女性がいきなりパソコンを習得するのは難しいのに、長期受刑の上、夜10時に電気が落ちて、練習用のパソコンもない更生保護施設で、パソコン教室へ行っても、パソコンを使った就労など無理でしょう。
とても形式的な就労支援であることがわかります。
さらに、提出を求められる職務経歴書と履歴書は、受刑歴の長いチェリーブロッサムさんには、書くことができませんでした。
パソコン操作をして作成するように求められていましたが、操作ができないのと、真っ白の空欄をどうやって埋めればいいのか、わからなかったのです。
チェリーブロッサムさんは、職務経歴書と履歴書の作成にも、強いストレスを感じていました。
ここで問題なのは、チェリーブロッサムさんが困っている状況に、誰も気づいておらず、チェリーブロッサムさんが孤立している点です。
チェリーブロッサムさんは、保護観察所にはきちんと通っているのです。
また、保護観察所での面談時に、ハローワークの職員も同席して面談していました。
それなのに、保護観察官からも、ハローワーク職員からも、チェリーブロッサムさんの状況に合った支援の提示すらないのです。
このような事態になったのは、
① 長期出所者に対する支援が機能していないこと、
② 総合的なトータル・コーディネーターがおらず、支援がぶつ切り状態で、チェリーブロッサムさんに合った支援の全体像が提示されていないこと、
③ チェリーブロッサムさんは、本当は大阪に帰りたいのに、大阪に女性用の更生保護施設がないために、京都に帰ってきてしまっていること(地元の情報や伝手がない)、
に大きな原因があるのではないかと思っています。
21年間も長期受刑をしていた56歳のチェリーブロッサムさんについては、社会内の生活に慣れるまで、時間がかかるであろうことは、最初からわかっていることです。
まずは、
㋐ 生活保護でセイフティーネットを張った上で、
㋑事情を知っている協力雇用主のもとで、短時間の稼働から始めさせ、
㋒医療や心理カウンセリングを併用しながら、日常生活が送れるように軌道に乗せるための助走期間をとるような支援策が必要だったのではないかと思います。
それをせずに、社会の側のご都合主義的な、形式的支援ばかりを並べても、うまく機能しません。
本件では、保護観察所も、更生保後施設も、ハローワークも、自分達の制度や建前の都合ばかりを並べて、誰もチェリーブロッサムさんの事情を前提にした上で、どうしたらよいか、一緒に考えようとしませんでした。
そのため、突然放り出された社会の中で、チェリーブロッサムさんが先行きの不安と恐怖に耐えられず、そのストレスが、再犯を誘発したのではないでしょうか。
◆ 本件犯行について
チェリーブロッサムさんは、出所後、更生保護施設へ来たものの、右手首を骨折してしまい、どうすれば立ち直れるのかわからないまま、強い不安感や恐怖感を感じていました。
その不安や恐怖が引き金になって、出所から数日後には万引きが始まってしまい、最初は何もなかった部屋の中は、みるみるうちに、盗品でいっぱいになっていきました。
盗んできた食料品をゴミ箱へ捨てるわけにもいかず、処理に困って、過食嘔吐するようになりました。
また、病院で下剤の処方を受けましたが、その下剤だけでは足りなくなり、コーラックを万引きして足して飲むようになりました。
心理的に、すべて排泄してしまいたいという思いが働くのです。
洋服もたくさん盗んでしまいましたが、実際に着ているのは、いつも同じ服でした。
たくさんの盗品の洋服に囲まれながら、着替えもせずに、3日間、同じ洋服を着ていたこともありました。
このあたりもとても病的です。
さらに、チェリーブロッサムさんの窃盗で特徴的だったのは、栄養ドリンクの「チョコラBB」に拘っていた点でした。
チェリーブロッサムさんは、刑務所にいる間に、テレビで、若い女性がチョコラBBを飲むCMを見ていました。
チェリーブロッサムさんが若い頃は、女性は結婚して家庭に入るのが当たり前で、栄養ドリンクは、男性が飲む飲み物でした。
チェリーブロッサムさんは、「最近では、栄養ドリンクは、社会の中で頑張りながら、普通に生活する女の子が飲むものなんだな」と思い、そのCMがとても印象に残りました。
立ち直って、社会の中で普通に生活している自分の姿を、チョコラBBを飲む若い女性のCMのイメージに重ねて、強く憧れていたのです。
チェリーブロッサムさんは、出所後、憧れていたチョコラBBを飲みましたが、そのうち、毎朝、ピンクのチョコラBBとブルーのチョコラBBを1本ずつ飲むことに強く拘るようになり、盗んで、毎日飲むようになりました。
チェリーブロッサムさんは、自分では気づいていませんでしたが、
私が事件に関わって分析したところ、チェリーブロッサムさんが毎朝チョコラBBを飲む行為に拘り出したのは、社会の中で、誰も親身にかかわってくれず、孤立して、不安感と恐怖感が強くなっていく中で、自分を癒そうとしたためではないかと思われます。(自己治癒行為)
社会の中で、普通に生活している女の子のイメージを重ねていたチョコラBBを飲むことで、
「今日1日、不安だけど、頑張ろう!」、
「何とか今日1日を乗り越えよう!」、
「大丈夫、乗り切れるよ!」と自分を励まし、癒す意味合いがあったのではないかと思っています。
あと、なぜ「若い女の子」のイメージなのかといえば、刑務所内のテレビCMで見た女性が若い女性だったこともありますが、チェリーブロッサムさん自身が、自分をまだ「若い女性」のイメージでとらえているからではないかと思われます。
社会の中で生活を送り、経験を積みながら年月を重ねていれば、年と共に精神年齢もあがっていきますが、社会から長期にわたって断絶され、刑務所の単調で刺激のない生活を繰り返し続けていると、社会経験を積むことが出来ず、精神を成熟させる機会が奪われるのだと思います。
だから、実年齢より若いイメージで、自分をとらえてしまうのではないでしょうか。
犯行当日は、他のお店ではチョコラBBが見つからず、パソコン教室の真横のコンビニまで来てしまいました。
普通なら、ここで、万引きはやめるでしょう。
パソコン教室の隣の店舗など、発覚しやすく、危険だからです。
でも、チェリーブロッサムさんは、窃盗衝動を抑えられませんでした。
そこで、パソコン教室の隣のコンビニに入って、チョコラBBを万引きし、その場で目についた他の商品も万引きしてしまったのが、本件事件だったのです。
チェリーブロッサムさんは、初めのうちは、私にも本当のことを話していませんでした。
しかし、それは嘘をついているのではなく、「もし本当のことを話してしまったら、この人は、あきれた顔をして、自分から離れていってしまうだろうな…」と思っているからだと思います。
虐待を受けた人なども、本当のことを話し始めるのは、かなり後になってからで、対話者との間に信頼関係が出来てからだと思います。
本当に、心底から傷ついている人というのは、容易には、真実を話せないものなのではないでしょうか。
21年間という受刑期間と、回復できずに再犯の繰り返した経験は、チェリーブロッサムさんを、とても深く傷つけているのです。
チェリーブロッサムさんは、被告人質問の期日の前頃になって、ようやく本当のことを話してくれるようになりました。
そして、法廷では、話せば、自分にとって不利益とされてしまうことも含めて、すべて真実を話しました。
法廷傍聴している方の中には、チェリーブロッサムさんの気持ちがわからず、反省していないと感じた人もいたようです。
しかし、そんなことは決してありません。
理解してもらいにくいのだとは思いますが、深く反省しています。
ただ、今まで語ることを許されなかった真実を語っただけなのです。
真実を語ることが、反省していないことにはならないはずです。
(虐待などもそうなのですが、本当に深く傷ついている人を理解するのは、容易ではないことを、社会の方も自覚しておく必要があります)。
「自分の過去を真剣に振り返り、真実を語って、他者に聞いてもらう」という作業は、癒しと浄化を招きます。
更生への第一歩へとなり、立ち直りへつながっていくのです。
チェリーブロッサムさんのケースで一番重要な気づきは、
チェリーブロッサムさんは、子どもへの愛情や、温かい家庭への願い、立ち直りへの憧れの感情など、心の中の願いを「物」に重ねている。
そして、「物を得ること」で、あたかも得られなかった愛情が得られたり、叶わなかった願いが叶ったかのような錯覚をもち、それによって、自分を癒している、
ということでした。
チェリーブロッサムさんが万引きを繰り返し始めた頃、子どもの物を盗んでいたのは、子どもへの愛情表現であり、暖かい家庭への希求を示していました。
また、今回の出所後、チョコラBBに固執して盗み続けたのは、社会の中で普通に生活したい、更生したいという、叶わぬ願いの現れでした。
そんなチェリーブロッサムさんに対する私の言葉は、
自分が「物」に「得られぬ愛情」や「叶わぬ願い」などの「思い」を重ねていることに、
気づいて下さい。
そして、本当に願いを叶えたいならば、物を次々手に入れることではなく、そのための小さな努力を1つ、1つ、重ねていくしかない、ということです。
現代は、女性が、自分の能力を発揮し、得たいものを得て、活躍する時代です。
男性との間に差などありません。
チェリーブロッサムさんには、他人まかせに流されるのではなく、自分の目標に向けて、自らの力を信じて闘ってほしいと思っています。
チェリーブロッサムさんの成育歴を見ると、勉強であれ、クラブ活動であれ、自分が手に入れたいもののために、必死で頑張って、取り組んだ経験がないことに気づきます。
一人娘のため、本人が動くより前に、周囲が常に先回りしてしまい、経済的にも豊かだったため、欲しい物は何でも手に入っていたのだと思われます。
しかし、チェリーブロッサムさん自身は、支配的なお母さんを苦手だと感じていました。
お母さんからすれば、自分が物のない時代に育ったため、娘には何でもしてやりたかったのだと思いますが、本当は、娘は自分と違っておっとりした性格であることを認め、娘が自分のペースで物事を決めて行動していくのを、じっと待ってやる、
子どもの自発性を促すような対応が必要だったのではないか、と思っています。
互いに愛情はありながら、ボタンをかけ違えてしまった母娘ですが、人生は何歳からでも遅いということはありません。
「今からでは遅いから」と言って何もしなければ、何も起こりません。
今のままの人生が続くだけです。
チェリーブロッサムさんの場合、今のままの人生が続いたら、死ぬまで刑務所にいなければならないでしょう。
受刑が嫌だと思えば、自殺して、死ぬしかないことになってしまいます。
(私は、チェリーブロッサムさんが、今まで自殺せずに、生きていたことだけで、とてもえらいと思っています)。
今、現実に存在している公的支援を使って、這い上がっていくしかありません。
この裁判では、チェリーブロッサムさんが本当に帰りたい場所である大阪の生活保護課、保護観察所、ハローワークに電話しまくって、方法を検討しました。
パート2では、その内容を掲載していきたいと思います。
【パート2へ続く】