反省は大切。しかし、反省のさせすぎは害悪である。

先日、少年審判がありました。

試験観察になりましたが、経過はとても良好で、保護観察処分になったケースです。

 

裁判官から、付添人から何か聞くことは?と言われ、私はこういう趣旨の話をしました。

悪いことはしたけれど、もう十分反省して、けじめはつけた。

これからはプラスの想像をして、プラスの方向に向かっていこう。

(進学を目指している子だったので)、ちゃんと進学して学校生活を送っている1年後の自分、3年後の自分を想像しよう。

そうなるために、今できる努力はしてして、生活をきちんと整えよう。

勉強はコツをつかめば出来るようになる。

君はできるのだから、頑張っていこう。

…という感じです。

 

ポイントは、マイナスの教訓ではなく、プラスのイメージを描いて見せること。

自分だけではなかなか描けないプラスイメージも、他人が的確に描いてみせてくれれば、容易に信じられるようになると思います。

そのプラスイメージを固定化して持てるかどうかが、立ち直りの成否を分ける。

その点、反省のさせすぎはマイナスイメージを固定化するので、更生にはかえって良くない。

自分の行為や思いを振り返る反省は、1度は真摯にさせねばならないが、その後はいつまでもしつこく言うな!

きっちり反省させたら、その後はプラスイメージに転ぜよというのが私の信条であり、本当にこれが正しいと信じています。

 

しかし、そのあとに続いた調査官からの言葉は、違った雰囲気のものでした。

犯罪をしてしまった時の自分がいる。

もちろん、今の君が本当に君だと思うけど、犯罪をしてしまったときの自分も忘れないように…とおっしゃるのです。

私はそれを聞きながら、審判ではこっちの方がもっともらしく聞こえるな、

こう言わないといけないのかな…、こちらの方が正しいのだろうか…と考えていました。

裁判官の口調も同じような感じでした。

 

そして、審判の最後になって、裁判官が学校の先生方に意見を述べる機会を与えたとき、私は2人の先生方の言葉に少し驚きました。

先生方は2人とも、私の言葉の方に反応して、同じ趣旨のことを言って下さったのです。

 

「さっき弁護士の先生が言われたように、これからはプラスの方向へ向けて頑張ってほしい。

犯罪をしたのは事実だが、その分、辛い思いも味わったのだから、これからはプラスの将来に向けて前向きに努力してほしい。

自分たちも支援していく。」という趣旨の発言でした。

 

それを聞きながら、やはり教育者というものはこう考えるのだな、

私がおかしいわけではなく、従来の法曹関係者の考え方が必ずしも正しいわけではないのだ、

私の考え方の方が普通なんだな、だから、やっぱりこれでいいのだ…、そう思いました。

 

的確に反省させたら、あとはプラスイメージへと転じていく。

その際には、その少年なり、被告人なりの性格や個性、さらにはその人が抱える人生課題のようなものを感じ取って、

本人が「そうか、自分はそうなんだ!」と思えてしまうような的確なプラスイメージを描いてみせる。

そして、それを本人の心の中に植え付ける。

そうすれば、あとは本人が本人の人生を勝手に生きていく。

私はそう思うのです。

 

弁護人や付添人というのは、事件から裁判まで間、苦しんでいる本人の横を一緒に歩いている人物というのが私のイメージです。

あとは1人で歩いていけるようにしてあげて、事件の終了のときにすっと離れていく…。

(家族がいないと離れていかないケースもときたまあるわけですが…)。

それを何人も何人も、ひたすら繰り返していくわけです。

私はそれが理想だと思っています。

 

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