トスカ ~トスカはそんなに嫉妬深く、そんなに悪かったのか~

昨日、佐渡裕芸術監督プロドュースのオペラ「トスカ」を観てきました。

これは、一度、オペラを見てみたいと思っていたところ、近場の兵庫県立芸術センターで上演されることを知って、以前に予約していたものです。

随分先の講演日だと思っていたのに、もう来たか…。(日がたつのは早い)。

 

トスカは、ローマ一の歌姫だったが、恋人カヴァラドッシが政治犯をかくまった罪で拷問にかけられ、死刑を宣告されたため、彼を助けようと警視総監スカルピアを刺し殺した。

しかし、結局、スカルピアの謀略で恋人は銃殺されてしまい、彼の死を知ったトスカは、城から身を投げて自殺する…というあらすじ。

 

音楽と歌声は素晴らしかった!

でも、話は重くてえぐかった…。

政治犯だの、拷問だの、犯人隠避ごときで死刑(銃殺)だの…。

そのうえ、トスカは嫉妬深い女性として描かれていて、(演出上というより、原作自体がそうみたいですね…)、

スカルピアは彼女の身体を狙っていて、女の身体を手に入れる程度のことでその恋人は殺してしまおうとか…、なんだか全部がえぐい。

 

ドラマとは言うけれど、これは単に人間が愚かなだけではないのか、

避けようのない苦労は、受け入れて乗り越えるしかないけれど(例えば、東日本大震災とか…)、

実際には、人間がもう少し賢ければ、避けられる苦労がほとんどなわけで、

単に、人間が愚かなゆえに、ドラマだ、ドラマだと騒いでいるだけではないのか。

そんな思いで、舞台を観ていました。

 

終演後は、佐渡裕監督のサイン会があり、長蛇の列が…。

私は、天使のイラストの入ったCDを買って、表紙にサインしてもらいました。(これなら、いつでも見れるかと)。

 

帰り道の電車の中、私は、「トスカは、そんなに嫉妬深くて、そんなに悪かったのだろうか…」と考えていました。

もう職業病ですね。

 

確かに、トスカには嫉妬深いところがあり、そこをスカルピアに利用されたわけだけれど、だからといって、彼女はそんなに悪かったのでしょうか。

そもそも、トスカが恋人を疑ったのは、画家であった恋人が、聖堂に飾るマリア様の絵に、礼拝に通う別女性をモデルにしたからです。

そのことには、教会の下働きも気づいていたので、気づかれる程度の書き方だったのでしょう。

礼拝堂に飾るマリア様の絵に、その礼拝堂にお祈りに通っている女性をモデルにするなんて、画家としても、恋人としても、完全にアウトでしょう。

しかも、その日は、恋人は政治犯をかくまっていたので、いつもと様子が違ったのです。

彼女は、そんな恋人のわずかな変化を敏感に感じ取ったのでした。

しかも、話声が聞こえたのに、人はいない…。(彼は政治犯と話していた)。

極めつけに、スカルピアから、教会に落ちていたと、そのモデル女性の家紋が入った女物の扇を見せられたのです。

そんな彼女が、恋人を問い詰めようと彼のところへ走ったからといって、(結果的には、そこをスカルピアに利用された)、そんなに悪くはないのではないでしょうか。

 

私は、トスカは、とても愛情深く、感受性が強くて、勘の鋭い女性だったと思うのです。

だって、ローマ一の人気を誇る歌姫ですから。

感受性が強いのは当たり前です。(鈍感な女性では、一番人気の歌姫になどなれません)。

だから、恋人の異変も感じ取れてしまっただけだと思うのです。

しかも、恋人を拷問かけられて、なんとか彼を救おうと知恵を絞り、スカルピアと取引しながら、彼を刺し殺したトスカは、

突然の厳しい状況に、最後まで希望を捨てず、勇気をもって立ち向かった女性でした。

才能と美にあふれ、勇気をもって行動したトスカは、何も悪くないし、あの証拠関係からすれば「嫉妬深い」と決め付けた評価をするのはあんまりでしょう。

むしろ、恋人を含めた男どもの方が、政治的・思想的対立だの、政治犯をかくまうだの、

女性の身体を狙うだの、聖堂のマリアの絵のモデルに礼拝に来る女性を使うだの、

くだらないことをして問題を起こすから、トスカが巻き込まれてしまったのです。

才能と美にあふれ、将来もある身だったのに、こんなくだらないことで身投げしなくてはならないなんて、本当にどうしてくれる!?と言いたいくらいです。

 

つまり、トスカは取り立てて嫉妬深かったわけでもなかったし、何も悪くなかった。

むしろ、巻き込まれた点では、被害者なのではないか…。

私は、この結論に深く納得して、家路についたのでありました。

 

こういうことは、刑事事件でも多いような気がします。

つまり、捉え方ひとつ、表現の仕方ひとつで、被告人が悪人にも、善人にも見えてしまうのです。

 

被告人を法廷で「表現」するためには、まずは、弁護人が被告人をどう見ているかが、問題になります。

弁護人が見ていないものを、法廷で表現できるはずがないからです。

そういう意味で、弁護人の人を見る目、事件を見る目、人間性はとても重要だと思います。

 

次回、トスカを観る機会があったら、トスカの「嫉妬深さ」とされたものにはちゃんと理由があったことが表現されているといいな。

隣に座っていたおじさんも、「もう少し可愛らしいといいのに…」と言っていたし…。

オペラを観て、「表現」や「捉え方」の重要性を考えた1日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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