アンパンマンのマーチに思う ~何のためにやるのか~

昨日の夜、NHKスペシャルで、

「みんなの夢まもるため やなせたかし ~アンパンマン人生~」を観ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、普段はほとんどテレビを観ない人なのですが、

お正月に久しぶりに会った年上の友人が、「孫がアンパンマンが好きで…」と話していたこともあって、

ふと新聞のテレビ欄を見て、目が留まり、「面白そうだな…。観てみよう。」と思ったのです。

 

 

その内容の素晴らしかったことといったら!(木曜に再放送があるようです)。

ここ最近で観たテレビの中でダントツ1位、常に涙が浮かんでくるくらい良い番組でした。

 

アンパンマンがこんなに奥の深いものだったなんて…。

知らなかった。恐れ入りました。

(私にも甥っ子はいるのですが、彼は、小さいころ、アンパンマンも好きだったものの、

電車とプラレールの方がより好きな人だったので、アンパンマンを深く追求したことはありませんでした。)

 

 

語られている内容は、どの部分もすべて良かったのですが、

刑事弁護をしていて感じる思いに重ね合わせ、特に2つのことが心に残りました。

 

1つ目は、やなせさんの作品は、何のために生きるのかを常に問うておられて、

絶望して生きるのが辛いときも、その先には希望がある。

絶望の横には、希望がそっと寄り添って座っているのだ…

というメッセージを伝えているのだという部分。

 

 

2つ目は、(どういう文脈だったかは忘れてしまったのですが、)

大切なことは、人々に不幸が生じないように予防し、

それでも、不幸が生じてしまった場合には、その不幸を少しでも軽減するように助け合う。

そういう助け合いの心が重要なのだと語られていた部分です。

 

 

刑事弁護をしていると、

何とかして執行猶予をとってあげたかったけれど、壁があつくて、取れなかった。

被告人を実刑で刑務所に送り出さなければならない…とか、

 

控訴審で、何とかしてこの判決を変えてあげたいと思って努力するけれど、

控訴審はびくともせず不動状態で、どうにもならない、

しかも、(控訴審の場合は特に)、そのことが前もってわかっている…というようなことが多々あります。

 

 

やなせさんの「何のために生きるのか」という問いかけのごとく、

「何のために弁護しているのか」と聞かれたら、何と答えればいいのでしょう?

 

 

私は、たとえ被告人が刑務所に行かねばならなかったり、裁判官や裁判員から重い量刑を言い渡されたとしても、

それまでずっと被告人と一緒に準備してきた過程や、交わしてきた会話などを思えば、

自分の弁護活動に意味がないなんて、全く思っていないのですが、

では、「どんな意味があるのか?」と正面きって聞かれると、ムム?と答えに詰まってしまいます。

 

 

頑張ったけど、結局は、執行猶予にはしてやれず、刑務所に送り出さねばならないとき、

重い量刑を避けられなかったとき、

これまで被告人との間でかけてきた時間や会話、彼/彼女との関わりはどんな意味があるのでしょうか。

 

 

その答えのようなものが、上に書いた2つのメッセージかもしれないという気がしました。

 

つまり、今はとても辛いけれど、この経験(受刑)を抜ければきっと良いこともある。

絶望の先には希望があるはずだから、何とかここを乗り超えて、

その先までたどりつけるように、励ましながら一緒に頑張る。

 

 

犯罪という不幸が生じてしまい、身体拘束と裁判という苦しい日々が続くけれど、

生じてしまった不幸は受け入れながら、その苦しみが少しでも軽減されるように、助けようとする。

 

 

もちろん、結果を出せればそれがベストだけれど、そのプロセスにも意味がある…と。

(そう思わないと、結果だけしか意味がないとなったら、どうすることも出来ない事案などは、
どう考えればいいのか、わからなくなってしまいますよね…)。

 

アンパンマンを見ながら、そんなことを考えた昨日でした。

 

 

PS:被災地支援のアンパンマンのポスターは、美しかった。

アンパンマンのマーチも買いたいです。

できれば、番組で歌っておられた一青窈さんのバージョンで買いたいんですが、あれはいずれ売り出されるのでしょうか。

 

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