モグラとメモグの夫婦の絆物語 ~薬物依存症の環境を変えて回復~

薬物を止めようとする人達、薬物を使用しない人達とつながって、
人脈や環境を変えていくことで薬物依存症から回復できた事例

     ~ モグラとメモグの夫婦の絆物語 

今回は、薬物を止めようとする人達、薬物を使用しない人達とつながり、人脈や環境を変えていったことで、自然と薬物依存症からの回復の軌道に乗った57歳男性のモグラさんのケースをご紹介します。

薬物依存症の人が、薬物を断ち切り、回復していくにあたっては、「どんな環境に身をおいて、どんな人達とつながるか」、がとても重要です。

                     

端的にいってしまえば、
薬物を使おうとする人達とつながっていれば、遅かれ早かれ、再犯してしまうでしょう。

逆に、薬物をやめようとする人達、薬物を使用しない人達とつながりを持てば、再使用せずに、回復の軌道に乗りやすくなります。

もし仮に、途中でちょっとスリップしてしまうようなことがあっても、すぐ軌道修正して、また薬物を止め続ける日々へと戻ることができます。

しかし、薬物を使用しようとする人達とつながりを断てないまま、そういう環境に身をおき続けていると、1回再使用してしまったら最後、ぞのままズルズルと薬物を使用し続ける日々に舞い戻ってしまうのです。

                         

モグラさんは、57歳の男性です。

50代後半から環境を変えて回復するなんて、とても難しそうに感じますね。
でも、モグラさんは、今回の事件の控訴審の裁判で、それを自然に達成していきました。

その陰には、モグラさんを信じて、寄り添い続けてくれた14歳年下の妻、メモグさんの応援がありました。
モグラさんとメモグさん夫妻の絆と回復の物語が皆さまの参考になれば幸いです。

 

   

◆ これまでの経緯

モグラさんは、事件当時、57歳の男性です。

20代後半くらいから薬物を使い始め、途中、薬物を断って、会社を立ち上げ、母子家庭のお母さんや、一人親家庭で育った若者を支援するような仕事をして成功し、頑張っていた時期もあったのですが、50歳頃、薬物の乱用状態に陥ってしまいました。

前刑では、執行猶予の取消しなどがあり、50歳を過ぎてから、あわせて懲役5年の受刑をよぎなくされてしまいました。

50歳を過ぎての5年間の受刑は辛いものでした。

刑務所の暑さ、寒さは、これが現代の発展した日本なのか?!と思うくらい、非人間的なものです。
年のせいで、身体のあちこちが悪くなります。

歯も何本か抜けてしまいました。
そのせいで、食べ物がよくかめないのですが、刑務所では、早く食べないとすぐお皿を下げられてしまいます。

食事がとれないことは、栄養がとれないということですから、即、体力の低下につながります。
こんなところで、死ぬわけにはいかない!
モグラさんは、よくかめなくても、必死で食べ物を飲みこんでいたといいます。

                 

そんなモグラさんを見守り続け、支え続けていた存在がいます。

14歳年下の妻、メモグさんです。

モグラさんとメモグさんは、モグラさんが薬物を断って、会社経営をしていた頃に知り合いました。
その時のモグラさんは、キラキラ輝いていました。
スタッフをたくさん抱え、売り上げも上がっていました。

しかし、メモグさんがモグラさんに惹かれたのは、ただ羽振りがよかったからではありません。

その頃のモグラさんは、母子家庭のお母さんを助けたり、一人親家庭で育った若者を助けたりして、社会奉仕的な仕事をしていたのです。

その様子をそばでみていたメモグさんは、モグラさんの人間性には素晴らしいものがあると感じていました。

今は、薬物のせいでくもってしまっているけれど、モグラさんは、本来とても素晴らしい人格を持っている。

この人は、いつかきっと回復して、本来の自分を取り戻してくれるはず…。

 

そう信じていたからこそ、前刑で、薬物に依存し、5年間の服役となってしまったときも、メモグさんは、一人で働き続けながら、モグラさんを信じて、帰りを待ち続けたのです。

 

受刑中、メモグさんは、何度もモグラさんに面会に行きました。

年のせいもあり、体調を崩しているのに、必要な医療を受けられずに弱っていくモグラさんの様子をアクリル板越しを見て、メモグさんは、

「この人は、今、命を削っているな。違法な薬物を使用して、悪いことをしたのは事実だけれど、だからといって、こんなにまで命を削れなければならないものなのか」と思っていたそうです。

   

◆ 出所後のモグラさんの頑張りと思いがけないつまづき

そして、月日は流れ、辛い日々をようやく終えて、モグラさんは、仮釈放を受けて、妻メモグさんのところに戻ってきました。

 

出所後のモグラさんは、懸命に働きました。

朝は、スーパーの品出しをして、夜は牛丼屋で働きました。

特に、深夜の牛丼屋さんの仕事では、人手不足のため、とても頼りにされ、感謝されました。

月曜日はこの店舗、水曜日はこの店舗…という具合に、人の足りない店舗の応援に入って、働いたといいます。

 

モグラさんは、自分は刑務所から出所してきたのだから、人手不足のところで働いて、人一倍頑張らなければ…と思っていました。

その甲斐あって、仕事は順調で、モグラさんは、この調子で順調に社会復帰していきたいと思っていました。

しかし、異変が起こります。

なぜか、突然転倒して、肋骨と前歯を折ってしまったのです。
その後も、牛丼屋の仕事中に、グラスを割ってしまったり、転びそうになって、身体をぶつけることが続きました。

何かおかしい…。

異変を感じて、病院へ検査に行ったところ、脳に脳動脈瘤が出来ていることが判明したのです。

 

実は、モグラさんは、約10年前の40代半ば頃、脳動脈瘤が出来て手術を受けた経験がありました。
それと同じ個所の再発でした。

もし破裂したら、死んでしまいます。
モグラさんは、即、手術を受けることになりました。

その手術は成功したものの、手術によって、血流を変えたため、手術後は、頭痛がしたり、立ちくらみやめまいがするようになりました。

投薬は受けたものの、完全には回復せず、あとは我慢するしかないとのことでした。

手術でカテーテルを入れた右足の付け根にも、痛みとしびれがありました。
まるで水中歩行しているような感じがして、仕事が続けられなくなり、退職せざるを得ませんでした。

体調不良に加え、仕事をやめて、時間が余ったことで、気を紛らわせることも出来なくなったモグラさんに、薬物依存の症状が襲ってきます。

「この苦しいめまいを、薬物を使用して抑えたい…」

そんな思いに駆られ、どうしようもなくなったモグラさんは、とうとう薬物を買って、再使用するようになってしまったのです。

仮釈放が切れて、まだ間もない頃でした。

                

◆ 何を間違えてしまったのだろうか?、それはモグラさんのせいなのか?

しかし、考えてみれば、これは当然のことだったかもしれません。

たとえ5年間と、期間が長期だったからといって、受刑しただけでは、薬物依存症は治りません。

受刑だけでは、根本的な解決にはなっていないのです。
受刑期間の長さと、薬物依存症からの回復は、まったく比例しないどころか、ほとんど関係ないでしょう。

 

では、薬物依存症から回復するためには、いったいどうしたらよいのでしょうか。

それには、社会内での生活を前提に、「薬物を手に入れようと思えば、手に入る環境の下で、しかし、自分の薬物依存症の原因を自覚して、その問題解決を、薬物に頼らずに、他の方法で対処するスキルをもつ」という訓練をしていくしかないのです。

刑務所の中では、物理的に、「薬物が手に入らないから、使用できない」だけなのであって、薬物依存症の原因になった問題を、薬物に頼らず解決できるようになったわけではありません。

だから、長期間受刑したからといって、回復しないのは、当然といえば当然のことなのです。

             

他にも、再使用しやすい原因となる事情があります。

刑務所から出所して間もない頃は、刑務所と社会の「ギャップ」が大きくて、長期の受刑を経た人ほど、社会になじむまでに時間がかかるのです。

ある薬物教室では、医師が、「刑務所での生活と、社会内での生活には、「大きな段差」がある」「この段差の衝撃をいかに緩和して、スムーズに社会生活に移行するかが重要だ」という趣旨のことを教えておられたと聞きました。

例えば、受刑中にスマートフォンのように電子機器が進化していて、社会の変化についていけなくなるような場合もあるでしょう。

刑務所では、外界の情報に接する機会も制限されますから、皆が知っている話を、自分はよく知らなかった利します。

 

他にも、刑務所内は特殊な空間で、笑ったり、他人と私語を交わすだけで、懲罰をくらってしまうため、社会に出て他人から話しかけられたときも、顔がこわばって、とっさにしゃべれなかったり、笑顔を返せなかったりして、対人関係がぎくしゃくする、などといったような困難もあります。

歩き方が「行進」のようになったとか、
信号の前で待つとき、気をつけ、の姿勢で待ってしまう、と言った人もいました。

また、満員電車のドアから、一気に人が下りてきて、刑務所では、身体と身体が接すると懲罰になるので、思わず、接触してはいけないという気持ちになって、後ずさりしてしまった、と話していた出所者もいました。

つまり、出所後の間もない時期は、普通に日常生活を送るだけで、強いストレスがかかる時期なのです。

 

この時期に、突然、脳動脈瘤を発症して、体調の悪化で、自分なりに計画していた「就労による社会復帰プラン」がくるってしまったモグラさんが、ストレスに耐え切れず、薬物の再使用にはしってしまったのは、当然といえば当然の結果だったのかもしれません。

               

この点、モグラさんの一審の裁判の判決は、モグラさんに対して、
「5年も受刑したにもかかわらず、刑執行満了後、間もない時期に安易に使用に及んでおり、常習性・依存性が顕著」と非難しましたが、この非難は間違っていると思います。

薬物依存症の特徴や、出所後の負担、刑務所に入れて社会と断絶させてしまうことのデメリットを正しく認識・評価していないからです。

ただ、やはり覚せい剤は違法薬物ですから、再使用してしまった点は、モグラさんの過ちだったかもしれません。

 

◆ 克服すべきもう1つの問題点

あともう1つ、モグラさんは、過ちを犯してしまいました。

同じ刑務所で受刑していたAという人から、電話がかかってきて、薬物を別の人に届けてくれと言われたとき、自宅に押しかけられるかもしれないという恐怖にかられて、それを引き受けてしまったのです。

モグラさんは、別に、Aさんとは、友人でもなんでもありませんでした。

舎房も一緒ではありませんでした。

ただ、一時期、刑務所内での作業場、いわゆる「工場」が一緒だっただけです。
出所後の連絡先など、全く教えていませんでした。

 

それなのに、Aさんから電話がかかってきたとき、モグラさんは、耳を疑いました。

どうして自分の連絡先を知っているのか?
教えてなんか、いないのに…。

驚いたモグラさんでしたが、Aさんが、「自宅の住所は知っているぞ」、「〇〇駅へ行くからな」と、最寄りの駅名を口にしたとき、モグラさんは、凍り付きました。

最寄りの駅名を口にしているからには、Aさんは、本当に自宅の住所を知っていると思ったのです。

 

Aさんは、モグラさんに、「薬物を欲しがっている人物がいるんだが、自分は入院していて動けないから、俺の代わりに、薬物を届けてくれ」と言うのです。

モグラさんは、本心をいえば、そんなことは絶対やりたくありませんでした。

でも、強硬に突っぱねて、Aさんの機嫌を損ねたら、家に押し掛けてこられるかもしれない…。

家には、妻メモグさんがいる…。

モグラさんは、強い恐怖を感じました。

 

妻のメモグさんは、普通の会社で働いている、ごく普通の一般女性です。
(音楽が趣味のとても上品な女性です)。

メモグさんの親族に対しても、迷惑をかけてきた、という思いがありました。

それなのに、家に押しかけられたりしたら、また妻や妻の親族に迷惑をかけてしまう。

そんなことになったら、本当に困る…。

何とか、Aさんの機嫌を損ねずに、自然に自分から離れてくれるように仕向けられないか…。

そう思ったモグラさんは、とっさに、Aさんの頼みを断ることが出来ませんでした。

1回だけ引き受けて、
その後は、「この間、1回引き受けたじゃないですか。これ以上はやめてほしい」と言おう。
そう思いました。

そうすれば、穏便に自分から離れてくれるはずだと思ったのです。

だから、1回だけのつもりで、Aさんの頼みを引き受けてしまったのでした。

ただ、届けろと言われた薬物を、Aさんのところへ取りに行くのは絶対に嫌だったので、Aさんには、「自分が持っている薬物を持っていくから、いいよ」と言いました。

使いかけの薬物で、全然グラム数が足りなかったのですが、モグラさんには、そんなことはどうでもよかったのです。

とにかく、Aさんが家に押しかけてくるのを避けたい…。

ただ、それだけでした。

                    

そして、Aさんから指定された場所へ、薬物を届けに行ったところ、モグラさんは臨場した警察官に逮捕されてしまったのです。

前刑で、5年も受刑したのに…。

妻は、5年も待ってくれていたのに…。

また裏切ることになってしまった…(涙)。

 

もう自分は57歳だ。

この酷暑で、クーラーのない刑務所では、死者が出ている。

今回は、本当に、もう生きて帰ってこられないかもしれない…。

そう思ったモグラさんは、本気で、治療したいと思いました。

本気で、この状態から抜け出したいと思ったのです。

そして、控訴審の段階でしたが、私を探し当ててくれて、私と一緒に回復への道を歩き出したのでした。

       

◆ 薬物依存症からの回復と再犯防止対策

モグラさんは、もう二度と薬物を使用せず、今回の受刑で最後にするために、いくつかの対策を実行しました。

① 薬物依存症を打ち明けた上での通院先の確保

② 結のぞみ病院での近畿麻薬取締官との面談

③ NAプログラムへの参加

④ 実際の回復者と友人になり、出所後、具体的なアドバイスを求められる関係を作る

などを実行して、回復のための具体的で、実践的な体制作りを行ったのです。

 

また、妻のメモグさんも、

⑤ 大阪のドーンセンターで、木津川ダルク施設長・加藤武士さんとNPO法人アパリウエストが行っている「薬物依存症の家族教室」に通って、薬物依存症の理解に努め、具体的な相談先を確保しました。

その内容は、以下のとおりです。

                      

◆  薬物依存症を打ち明けた上での通院先の確保

モグラさんは、通いやすい場所にある、精神科クリニックへの通院はしていたのですが、実は、覚せい剤使用歴のことは、医師に話せていませんでした。

どうしても言いにくかったのです。

しかし、控訴審での裁判を機に、医師に正直に話をしました。

薬物依存症を本当に克服するためには、社会の中で、再使用の防止を支えてくれる支援機関に複数つながる必要性を強く感じたからです。

これで、モグラさんの薬物依存症の状態を理解して、定期的に通院出来る医療機関は確保されました。

◆  結のぞみ病院での近畿麻薬取締官との面談

その上で、モグラさんは、大阪府富田林市にある、薬物依存症の治療で有名な、「結のぞみ病院」(旧:汐の宮温泉病院)にも通いました。

結のぞみ病院で、定期的に行われている「近畿麻薬取締官との面談」を受けたかったからです。

結のぞみ病院では、近畿麻薬捜査官の協力のもとで治療が行われており、「麻薬捜査官との面談」が定期的に実施されています。

今回、モグラさんは、刑務所で工場が同じだったというだけで、Aさんという人から、出所後、居場所をかぎつけられ、連絡があったことで、巻き込まれて、逮捕されてしまいました。

Aさんが自宅に押しかけてくるのが怖くて、きっぱり断れなかったのです。

今回の受刑後、また、Aさんのような人が現れたとき、どうやって断るか。

そもそもターゲットにされないためには、どうしたらいいのか。

そこで考えたのが、受刑前から麻薬捜査官と親しく面談をしておき、受刑中、刑務所の中では、「自分は治療の一環として、近畿麻薬捜査官と定期的に面談をしなければならない身で、出所後も定期的に面談に行くつもりだ」と普段から、周囲に吹聴して話しておくことです。

「もし自分に近づいてくる売人などがいたら、麻薬捜査官にすぐ通報することになっている」と、あえて周囲に話しておき、2度とAさんのような人物から標的にされないように、身を守りたいと思ったのです。

実際、モグラさんは、麻薬捜査官との面談時には、自分の経験を包み隠さず、話して、面談の会話はとても楽しかったようです。

もちろん、出所後も、麻薬取締官との面談を続けます。

 

◆ NAプログラムへの参加

モグラさんの場合、再犯防止のために取り組んだ活動の中で、一番効果的だったのは、NAミーティングへの参加だったといえるでしょう。

薬物依存症から回復するためには、同じように、「薬物をやめよう」としている人達、「薬物依存症から回復しよう」としている人達とつながりを持つことが極めて重要です。

逆に、薬物を使用しようとする人達とつながっていると、遅かれ早かれ、自分も必ず再使用へとつながってしまうのです。

そこで、モグラさんは、自宅近くの会場で行われているNAを中心に、何か所もNAに顔を出し、NAミーティングに熱心に参加するようになりました。

裁判前は、平均して、週に4,5回も、ミーティングに参加している状態でした。

◆ 回復者との具体的なアドバイスを受けられる関係の構築

このように、NAミーティングに熱心に参加する中で、モグラさんは、出所後、心身の調子が悪くなったり、薬物を使いたいな、という渇望を感じたとき、具体的な相談ができる「先ゆく回復者(メンター)」を見つけました。

このHPで、一番最初の治療者として事例報告を掲載している「光さん」です。

光さん自身、薬物依存症で苦しみ、裁判と受刑を経験し、結のぞみ病院(旧:汐の宮温泉病院)で治療して、回復を果たしました。

それだけでなく、現在の光さんは、木津川ダルクの加藤武士さんなどと一緒に、裁判中の被告人や受刑者らの支援活動をするようになっています。

具体的に、困って電話をかけたとき、その電話に出てくれて、相談に乗ってくれる人がいるというのは、とても心強いことです。

こうやって、支援と善意の助け合いは、連鎖して、広がっていくのです。

◆ 妻メモグさんも薬物依存症の家族教室へ 

妻のメモグさんも、妻自身も薬物依存症を理解して、本人とは違った立場で、家族として、具体的な相談先を確保するために、家族教室へ行くことにしました。

大阪の天満橋にあるドーンセンターでは、NPO法人アパリウエストと木津川ダルクの加藤武士さんが実施する月1回の家族教室が行われています。

興味のある方は、毎月開かれているので、木津川ダルクのHPなどで、日程を確認してみて下さい。

           

◆ 判決の内容について

こんなふうに、真の回復を目指して、情状弁護活動に励み、裁判では、モグラさんは、1日も早く社会へ帰り、その後も長期の保護観察を受けることを希望して、一部執行猶予判決を望みました。
しかし、形式的な罪名が「譲渡」になってしまったこともあり、(実際は、自分の持っていた薬物を渡そうとしたところで捕まったので、限りなく「自己所持」に近い事例でした)、一部執行猶予にはなりませんでした。

私自身は、モグラさんは今回、本当に回復の軌道に乗っていたので、形式的な見方をせず、実質的に事案をとらえ、一部執行猶予にして、保護観察を付した方がよい事例だったと思っています。

しかし、仮に、一部執行猶予が認められなくても、それは小さな話です。
モグラさんとメモグさんが、その絆の深さを再確認し、ともに治療に取り組んで、回復の軌道に乗ったことが大切なのです。

今までの治療は無駄ではありません。
モグラさんは、必ずや、今回の受刑を最後に立ち直ってくれることでしょう。

                    

◆ 裁判を振り返って思うこと

最後に、モグラさんに対して、この裁判を振り返った感想や、今までと違った点を聞いてみました。

モグラさんは、良い人脈が構築され、環境を自然に変えることができたことが、一番の収穫だったと言っていました。

NAや結のぞみ病院を通じて、薬物を止めようとする人、やめることを支援してくれる人とたくさんつながりました。

さらに、妻メモグさんの趣味である音楽の演奏会などにも参加して、音楽関係者とのつながりもできたそうです。

事件を振り返って思うことは、「断る勇気が持てなかったこと」が、本当に残念だったけれど、裁判の家庭で、麻薬取締官の面談を受けることで、今度は、Aさんのような危険な人物から身を守る「鎧(よろい)」も準備することができました。

大きな代償を払ったけれど、この事件と治療がなかったら、中途半端なまま、また薬物依存症に負けてしまっていたかもしれない。

今は、回復出来て、本当によかったと思っている。

1日も早く社会へ帰り、夫婦2人で、平和に穏やかに暮らしたいと言っていました。

控訴審の法廷で、被告人質問のとき、「5年間待ってくれて、今回の再犯にも、もう一度待ってくれる奥さんへの言葉はありますか」と、私がたずねた時、

モグラさんは、「妻に対しては、言いたい言葉はいろいろあるけど、言葉ではなく、行動で実践します」と答えました。

とても誠実で、本心からの言葉だな、と感じて、印象的だったのを覚えています。

 

あと1度だけ、受刑という苦しみを乗り越えなければいけませんが、その後には、モグラさんとメモグさんの穏やかで幸せな日々を続いていくことを願っています。

    

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